ロリポップ・アンド・バレット

アニメ・映画・特撮・読書の感想や考察を書いたり書かなかったりする

話数単位で選ぶ、2023年TVアニメ10選

毎年恒例でaninado様が集計されている「話数単位で選ぶ、TVアニメ10選」企画に、今回初めて参加させて頂きます。

aninado.com

 

■「話数単位で選ぶ、2023年TVアニメ10選」ルール
・2023年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。
・集計対象は2023年中に公開されたものと致しますので、集計を希望される方は年内での公開をお願いします。

 

目次

①『ひろがるスカイ!プリキュア』1話 「わたしがヒーローガール!?
キュアスカイ参上!!」

②『転生王女と天才令嬢の魔法革命』12話(最終回) 「彼女と彼女の魔法革命」

③『ポケットモンスター めざせポケモンマスター』11話(最終回) 「虹とポケモンマスター」

④『【推しの子】』7話 「バズ」

⑤『アイドルマスター シンデレラガールズ U149』11話 「大人と子供の違いって、なに?」

⑥『機動戦士ガンダム 水星の魔女』24話(最終回) 「目一杯の祝福を君に」

⑦『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』10話 「ずっと迷子」

⑧『葬送のフリーレン』10話 「強い魔法使い」

⑨『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』8話 「エコー」

⑩『星屑テレパス』11話 「再戦シーサイド」

番外編『星屑テレパス』10話 「泣虫リスタート」

雑感

①『ひろがるスカイ!プリキュア』1話 「わたしがヒーローガール!?
キュアスカイ参上!!」


f:id:Skarugo0094:20231217173356j:image

f:id:Skarugo0094:20231217173352j:image

ランボーグとの初戦闘シーン。街中のロケーションそのものは別段珍しいものではありませんが、摩天楼を駆ける”ヒーロー”ガールを描くにあたって、これ以上ないほど相応しい場所と言えます。カバトンとランボーグは車道(危険地帯)に、ましろは歩道(安全地帯)に立っている一方で、ソラはその中間である「横断歩道」上に居ることで、「ヒーローとしての使命」と「自身にその使命を全うできる力がない無力さ」との葛藤を演出する位置関係も見事でした。街中のビルに隠されてきた「空」が、変身して飛び立つソラの縦の運動によって何も覆い隠すものがなくなり、画面が清澄な青へと転じる映像の妙。その一つ一つに魅せられた初回でした。

 

②『転生王女と天才令嬢の魔法革命』12話(最終回) 「彼女と彼女の魔法革命」

skarugo0094.hatenablog.com

一貫して描かれてきた「接触する」行為に込められたテーマの極値点とも言える回です。「精霊一神教の封建国家」という巨大な暴力装置を前に、虚しくも無力なアニス・アルガルド・ユフィの人間性が次々と否定されていく作劇がとりわけシリアスに映る本作でしたが、同時に与えられた記号を媒介するだけの間接的「メディウム」へ陥った各々のキャラクター達が、直接的に「触れる」行為を通じて一度奪われたヒューマニズムを奪還する物語構造が、身体を重ね合わせる「百合描写」への強烈なエクスキューズとして効いており、本作のそういった部分こそが「ロジカルな百合作品」たる所以なのかも知れません。

 

③『ポケットモンスター めざせポケモンマスター』11話(最終回) 「虹とポケモンマスター」

f:id:Skarugo0094:20231217173430j:image

1997年から実に26年間に渡って描かれてきた、サトシとピカチュウの冒険に明確な終止符が打たれた回です。26年。私の生きてきた人生の長さとほぼ同じ歳月を、サトシ達の冒険と共にしてきたと考えると、一つの大きな時代が終わったような寂寥感と共に、ある種の感慨が生まれます。

サトシが目指す”ポケモンマスター”とは何か。この対する”答え”をついに出すサトシ。

それは「全てのポケモンと友達になる」というものでした。思い返せば、アニポケという作品は常に「新天地での出会いと別れ」がテーマにありました。私自身も全てのシリーズを見ていたわけではないのですが、そうした会者定離を経験してきたサトシとピカチュウの姿をリアルタイムで目の当たりにしていたからこそ、「アニポケからサトシが卒業する」事に対してもポジティブに受け止めることができたのでしょう。


f:id:Skarugo0094:20231217173447j:image

f:id:Skarugo0094:20231217173450j:image

カスミ・タケシとの分かれ道のシーン。各々が長い旅から戻ってきた”帰路”であると同時に、新たな旅のスタートを象徴する”岐路”でもある、両義的な結節点として描出されています。行き先は下手(未来)を指し示している方向性の正しさ、そして”最高のボロボロ靴”を履き替えて旅のスタートを切る姿は、エンディング曲『タイプ:ワイルド』で下手(未来)方向に走る映像へとシームレスに繋がれます。これからも続いていく二人の旅を見送る真摯なフィルム作りだったと感じます。

 

④『【推しの子】』7話 「バズ」

f:id:Skarugo0094:20231217173501j:image

リアリティーショーにおける〈嘘/真実〉の曖昧さ、SNS――巨大な情報の波に翻弄されてきた舞台役者・黒川あかねの復活を描く回。「受動的に観客から”見られる”リアル」というリアリティーショーの構造に対し、炎上騒動の主戦場となったSNSを逆手に取った戦略で「能動的に”見せる”リアル」の側面をオーディエンスに見せることでバイアスの上書きを試みるロジックに多少の疑問はありますが、そうした前フリを経たからこそ「能動的に見せる”嘘”」、即ち「役者」としての黒川あかねの原点に立ち返る、という構造が一層鮮やかに映りました。オーディエンスから一方的な視線を向けられる「視線の非対象性」については以前にOP映像の考察で触れましたが、その対抗策として「見られる」から「見せる」への転換を描く事に説得力を感じました。

skarugo0094.hatenablog.com

また、データベースとして見たときの「SNS(オンライン)と図書館(オフライン)の対比」も肝要だったように思えます。前者はこちらが求めていなくても否応なしに流れてくる情報であり、後者は能動的な探求によって初めて得られるもの。サーチではなく「リサーチ」によって、誰よりも真実に近づくことができる、という描きは示唆に富んでいます。

 

⑤『アイドルマスター シンデレラガールズ U149』11話 「大人と子供の違いって、なに?」

skarugo0094.hatenablog.com

「なぞなぞ形式」のサブタイトルの法則性は守りつつも、なぞなぞのそれとは異なり、明確な「答え」が存在しない問いかけが提示されます。〈子供/大人〉を〈泣く(弱い)/泣かない(強い)〉の二項対立の定義として予め提示しておき、「”大人”になりきれないプロデューサー」の在り方を通じてその境界を融解させていく過程に情緒があります。

とりわけ、遮蔽物の無慈悲さ・静けさと、流水による動的な運動が衝突するMV的映像は「抑え込んでいた思いが溢れ出る」表現としてこれ以上なくありすの深層心理とマッチしており、無彩色の中に唐突に表れる有彩色=金魚も、おそらく同様のニュアンスを含んでいたのでしょう。成長途上にいるアイドルを〈子供〉のレッテルに追いやる装置として打ち出された「U149」のネーミングが、「子供と大人の境界が取り払われる」過程を経て、第3芸能課にとってこれ以上なく相応しい屋号に転じる”強かさ”から「レジリエンス」を感じる回です。

 

⑥『機動戦士ガンダム 水星の魔女』24話(最終回) 「目一杯の祝福を君に」


f:id:Skarugo0094:20231217173526j:image

f:id:Skarugo0094:20231217173530j:image

ガンダムシリーズには疎く、私にとってこの作品が実質的に初めて触れる『ガンダム

でした。学園ドラマ・決闘(競技)としての戦い・百合要素など、素人目で見てもかなり挑戦的なシリーズだったと思いますが、それらの要素が「戦争」へと転じたときに、物語当初とは全く異なった様相を帯びるようになる、ある意味では叙述トリック的な「要素の見せ方」に旨味があった作品でした。

とりわけ私が注目したのは最終回における「麦畑」のロケーション選定についてです。本作ではトマトが「血縁」「人間性」「温室」など特徴的なマクガフィンとして描かれてきたからこそ、唐突な「麦」に違和感を覚える人も多かったように思えます。しかし戦禍で失われた(消費された)無数の者達に思いを馳せるとき、その場所は”大量生産”の源泉たる「麦畑」が、やはり相応しいのだと思います。また麦の栽培過程には茎葉を強くする目的で「麦踏み」と呼ばれる工程があり、何度尊厳を踏み躙られても再起してきたスレッタ達の柔軟な強さ=レジリエンスと重なる意味でも的確なモチーフでした。余談ですがこの旨をツイートしたところ、人生初バズ(9000いいね)を経験しました。麦と戦争の関係性から漫画『はだしのゲン』を連想した方が多かったようです。

 

⑦『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』10話 「ずっと迷子」

skarugo0094.hatenablog.com

10選企画の選出を考える時に真っ先に思い浮かんだのが、この回でした。バラバラになってしまった”迷子”の5人が、「居場所を再発見する」回としても読めますが、私個人の見解としてはコード化された人間社会の中に居場所がない者たちが、”非人間”である燈とRiNGの野良猫の異名を持つ”動物的”存在の楽奈、即ち「人間としてのコードを持たない者達」を経由する事で脱コード化され、真に解放される物語として秀逸な回だったと感じます。

あくまでも即興で披露される『詩超絆』の”ポエトリーリーディング”という「語り」の形式が、アドホック(その場限り)な空間を創出しており、そうした「何もない空間こそが”居場所”以上に尊い」、という図地反転的な描きが鮮やかでした。もとより「ロック・ミュージック」のルーツを振り返ったとき、歴史的に反社会的・反体制的なもの、即ち「脱コード的」な芸術様式であった事を思い返せば、そうした描きはむしろロックの本質に迫るものだったとすら言えるかも知れません。

 

⑧『葬送のフリーレン』10話 「強い魔法使い」

f:id:Skarugo0094:20231217173757j:image

清澄な青空が象徴的なアイコンとして映し出された本作において、異質にも鬱屈とした湿度感・因縁の血生臭さを感じさせるエピソード郡として進行した「断頭台のアウラ編」に終止符が打たれた回です。日常的な魔力のセーブによる”過小評価”からアウラの不意を突く戦法は、あくまでも「手の内を隠した奇襲」と極めてシンプルに言い表すことができますが、「魔力の大きさがそのまま魔族としての地位を表す」魔族特有のヒエラルキーを逆手に取ったロジカルさがあり、そこに一層の説得力がありました。魔力の大小で相手を値踏みするアウラを欺くことができても、魔力を抑えてもなお隠し切ることのできないフリーレンの資質をヒンメルには見抜かれていた、という対比的な描きも良いです。

 

⑨『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』8話 「エコー」

skarugo0094.hatenablog.com

これまで描かれてきたコノハのタイムリープとは明らかにカラーが異なる事も相まって、一際印象に残る回です。経験に基づいた「推論」と〈想像力〉の違いは何か。一見すると衒学的な思考実験を思わせる抽象性を帯びた問いですが、時代の潮流で移り変わる秋葉原という現実空間と、仮想空間としての美少女ゲーム、2つの意味空間を並置する本作において、最も本質に迫るテーマを問い直す回でした。

「想像力が現実を定義する」というエコーの台詞に表れているように、「現実のエンパワーメントとしての想像=創造のあり方」のテーマは、「ゲーム制作」に主眼を置いたメタフィクションの本作において真に迫るものだったと思います。「偶然性を廃して必然的な結果を選び取る」というタイムリープ作品のクリシェから敢えて離れ、偶然を偶然のままとして受容する本作の描きには、かえって予測できないスペクタクルがあり、本作で言う「美少女ゲームの”エネルギー”」は、そういった部分にこそ生まれるのでしょう。

⑩『星屑テレパス』11話 「再戦シーサイド」

f:id:Skarugo0094:20231228214447j:image

瞬にとって「モデルロケット技術者」としての矜持を折られる結果となった選手権。

「自分が居ながらあっけなく敗退してしまった」という責任感とプライドから全てを投げ捨ててしまいたくなる心情と、それとは裏腹に「本当はみんなと作りたい」という二律背反の感情のせめぎ合いに、つい感情移入させられます。そんな瞬を”外”に引っ張り出す役割を、「技術も、人を上手く動かすようなコミュ力も欠けていながらも、ただ夢だけは持っている」海果が担っており、エンパワーメントを得られる回でした。

f:id:Skarugo0094:20231228214328j:image

とりわけ、瞬の本心を看破したユウの発する「嘘」の言い方に思わずゾクッとなりました。オフ台詞で力強く響いた声とは裏腹に、次点のカットでは優しさと寂寥感の同居する眼差しを瞬に対して向けている”ギャップ”から、ユウという人物のミステリアスさが際立っていました。

 

番外編『星屑テレパス』10話 「泣虫リスタート」


f:id:Skarugo0094:20231217174532j:image

f:id:Skarugo0094:20231217174535j:image

元々はこの10話を(9話と迷った末に)10選に選出する予定でしたが、上記11話を視聴後に急遽選出を変更する事となりました。本作の持つ優しさと、しかしどこか直視し難い厳しさを感じるような、一筋縄でいかない作風が極地を迎える回だったと思います。幼少期、かつてピアノコンクールで計らずも友人の夢を奪ってしまった事で、主体的に夢を持つのではなく「夢を応援する側」に立つようになった宝木遥乃に焦点が当たる回ですが、選手権に惨敗し夢破れた瞬に、その夢の「当事者」として対峙する姿勢に強かさを感じます。瞬のアイコンであった「ゴーグル」が外されることで強調される彼女の諦念、一方で遥乃のトレードマークである「チョーカー」が外れることで「胸襟を開いて話す」ことを視覚的に描いており、小道具の着脱によって両者の相反する心理を対比的に映し出すのが見事です。

上述のような遥乃と瞬の対峙、並行して描かれる海果の「自分自身との対峙」のように、本作は徹底的に「真正面からぶつかる」事を描いており、そこにある種の容赦無さすらも感じますが、それを鑑みれば本作のアイコンであるところの「おでこぱしー」とは本質的に「分かり合えない者同士による、最も優しい”衝突”の形」なのかもしれません。

 

雑感

以前より話数単位10選企画の存在は認知していましたが、アニメ感想ブログ歴7年目にして、参加させて頂くのは実は今回が初めてです。この中でも特に頭を悩ませた作品は、急遽選出を変更した『星屑テレパス』です。どの回も素晴らしいですが、特に9話・10話・11話は甲乙付け難く、僅差で11話を選出した決め手になったのが「感情移入」という部分です。作品に対する感動は「作劇としての出来の良さ」と「個人的に刺さるか否か」の主に2種類があると思いますが、後者ほどより心が動かされ、しかし個人的故に言語化し辛い、というジレンマがあると改めて感じました。

 

末筆ではございますが、来年も引き続き宜しくお願いいたします。