ロリポップ・アンド・バレット

アニメ・映画・特撮・読書の感想や考察を書いたり書かなかったりする

『転生王女と天才令嬢の魔法革命』アニメ総括――メディウムとしての身体を放棄し、「直接的な接触」を獲得する物語

f:id:Skarugo0094:20230331223354p:imagef:id:Skarugo0094:20230331223412p:image

オープニングのファーストカットから映し出され、繋がれるアニスフィアとユフィリアの「手」が象徴するように、本作は触れること――他者との”直接的”な接触――を通じて失われた”ヒューマニズム”を取り戻す作品と言えるでしょう。

物語の重点は主に王女のアニスフィア・天才令嬢のユフィリア・アニスの実弟にして次期国王候補のアルガルドの3人が担っている本作ですが、それぞれのキャラクターがどのように、その変容を辿っているのかを見ていきます。

 

まず序盤の山となるのが、王女でありながらも魔法が使えず、精霊への冒涜と見做される「魔学」に傾倒している事から、周囲から王族の血を引く者としてその価値を認められずにいるアニスフィアと、その実弟で時期国王の最有力候補として名高いアルガルドの確執です。長女であり、王女という立場でありながらも魔法が使えないアニスは、”キテレツ王女”という道化を演じることで弟のプライドを守ろうとします。それを察するアルガルドは「国王の最有力候補」でありながら自分が王の器ではない事を自覚しており、だからこそそんな姉の振る舞い方と、血統と魔法を絶対的なものとして形成される封建的な国の在り方に憤りを露わにします。

 

アニスとアルガルドの確執は8話において、「決闘」という形でついに顕在化する事になります。絶対的な「力」を持って、理不尽な世の中を強引な方法で変えようと試みるアルガルドは、吸血鬼であるレイニの心臓を奪い、自分のものにします。それは他でもなく、アルガルドが「人間性を捨てて吸血鬼になる」事を意味します。

ここで注目したいのは、ドラゴンの力を自身の身体に埋め込んだアニスもまた、人間性を放棄している、とも取れる部分です。ドラゴンの紋章を身体に宿すことで、「擬似的な魔法」としてその魔力をコントロールするアニスは、吸血鬼=レイニの心臓を埋め込んで絶対的な「力」を得たアルガルドとパラレルに描かれているのです。

f:id:Skarugo0094:20230331223711j:image

アニスもアルガルドも、「自分にないものを求めた」結果、それが人間性、即ちヒューマニズムの喪失」という形で、物語に影を落とす事となります。それを象徴するのが、決闘の後にアルガルドが月に手を伸ばす一連のカット群です。他でもなく「無いものを掴み取ろうと伸ばした自身の”手”」によって、微かな月の光さえも遮られ、彼の顔に影を落とすのは、アニスに敗北したというよりもむしろ、アニスと自分自身を救えないまま封建社会を前に敗北した絶望感や諦観を物語っています。

f:id:Skarugo0094:20230331223653j:imagef:id:Skarugo0094:20230331223658j:image

振り返ってみれば、本作における「月」は自分が持っていないものへの「渇望」を表すシンボルとして映されていました。それこそ、一つ前の8話でレイニの心臓を奪うシーンの月・アニスとアルガルドが対峙し、〈祝福 / 呪い〉の二項対立として描かれる「魔法の定義」を問うシーンで描かれる月は画面の大部分を占め、不自然なほど大きく映し出されます。

両者にとっての「魔法」が〈祝福・呪い〉の対比関係で問い直される8話において、望遠レンズ的に画面を覆う巨大な月は、魅了・狂気といった両義的なメタファーとして描かれていたのかもしれません。

f:id:Skarugo0094:20230331223734j:image

しかし9話では一転して、上で挙げたように月がアルガルドの指の間に収まるほど”小さく”映されているのです。力への狂信と渇望のモチーフとして”大きく”描かれた月の姿とは対照的な描きです。手を伸ばしても掴み取れない絶望的な「遠さ」と、封建国家を変えられない自身の無力さを反映させる「月」。次点のカットでは、僅かな光を放つその「月」すらも雲に隠れ、アニスとアルガルドに雨が注がれます。「決闘」はユフィリアの仲裁により止められましたが、実質的には両者共に「封建国家」という巨大な力を前に敗北する形で決着が着いてしまった、と解釈する事ができます。

f:id:Skarugo0094:20230331223750j:image

「なりたい者になれないのは、辛いな。」

アルガルドがアニスに吐露するこの台詞が、何よりもその”敗北感”を表しています。とりわけ、「同感」を求めるニュアンスが込められている点で、その敗北感はアニスにも共有されているのが肝要です。

精霊一神教的な国家において、アニスが「魔法が使えない」事はそのまま「人権がない」事さえ、意味します。魔法――精霊からの恩恵――を授からなかったアニスはこの社会において「人間未満」としてしか見做されなず、ただ一点「王女」という血統的な記号のみが彼女を「人間」にしている。そんなアニスのヒューマニズムは、一神教的な封建社会においては砂上の楼閣にすぎず、脆いものとして映ります。それは「王位継承権」という記号でしか自身の存在意義を示すことができず、才能に恵まれなかった事を自覚するアルガルドにも通底する問題でした。

 

そして語られる確執のルーツ。アニスがアルガルドを連れ出した最中でモンスターに襲われ、その事が王宮に知れ渡り「アニスがアルガルドの暗殺を試みた」と噂が広がるようになる。アニスは王位継承権をアルガルドに譲渡する事で、この件の収拾を試みましたが、それがかえって彼を傷つける結果になります。

握手を拒絶し、立ち去るアルガルド。彼が欲しかったのは、王位継承権などではなく、ただアニスの事を純粋に好きで、王になって欲しかったからこそ、そんな姉が平気で王位継承権を譲ってしまう事に憤りを覚えたのでしょう。

 

接触する物語」において、手で触れることを拒絶する行為には、やはり相応の意味が込められています。ここで重要になるのは、アルガルドが王位継承権を得ることで、彼は「次期国王」としての記号性を帯び、それを外部に伝達するだけの”メディウム”となり、アニスの弟としての”自己”を失ってしまうという部分です。アニスがアルガルドの「手」を引いて連れ出す行為によって、達成されていた両者の直接的「接触」は、王位継承権をアルガルドに譲渡したあの瞬間――アニスの「仲直りの握手を拒絶」した時――に断絶され、姉/弟の関係性から、お互いに王女/次期国王という記号を媒介する間接的な関係性へと変容しました。

f:id:Skarugo0094:20230331223814j:image

このように「自分の身体が、何かを伝えるだけの”メディウム”と化すことで間接性を帯び、直接的な接触に失敗した者が、再び”直接性”を取り戻す」物語構造は、本作において最も肝要となる部分です。

アルガルドの場合、アニスによって次期国王候補に”させられた”事で「接触」を失いました。そんな彼はアニスと真正面から対峙し「共に敗北する」事で結果的に国の歪みを顕在化させ、自分の行ってきた事の罪を償う形で「メディウムとしての身体を放棄した=直接性を取り戻した」と言えます。それは、決闘が終わった後の仲直りの握手――断絶された手が再び繋がれる瞬間――によって達成されました。

 

アルガルドとのわだかまりが解消された後、次に直接的な繋がりを獲得するのは本作のもう一人の主人公・ユフィリアです。天才令嬢として常に求められる事を完璧にこなしてきたユフィは、それ自体が彼女自身を「求められた事を外部に伝える存在」としての要素を強めており、生来的に極めて媒介性を帯びたキャラクターです。換言すれば「受動的なメディウム」として描かれています。「およそ全てを持って生まれながら、何一つ持っていなかった令嬢」という彼女のキャラクター造形が意味するのは、即ち物語開始時点において彼女は「直接的に世界とアクセスする術を持たない”媒体”」である事に他なりません。

 

自身の役割を果たす事に一切の妥協がなく、求められるように完璧に振る舞ってきた彼女ですが、そこにユフィ自身の意志があるとは言い難く、他でもなく「ユフィ自身が何をしたいか」という問いは本作において最も強調的に描かれてきた事の一つでした。そして自分自身が「メディウム」であることに無自覚ですらあったユフィは、もう一つの媒体を通じて世界と対峙していました。それはアニスの存在です。

 

アニスに忠誠を尽くし、魔学研究の助手として徹するようになったユフィですが、7話において同じくアニスの魔学研究を手伝う悪友・ティルティから、「助手としての矜持」を問われます。同じ「助手」の立場であるティルティを前にユフィリアは狼狽えます。

上手に位置するティルティは、今この画面において主導権を握っている事が伺えます。一方、下手のユフィはその身体の半分が前景の椅子に”隠されて”います。助手としての立ち位置が定まらない、不安定なユフィの心理を代弁するカットです。

f:id:Skarugo0094:20230331223842j:image

ティルティに発破をかけられたユフィは、「魔学講演会」に足踏みするアニスを半ば強引に引っ張るかように、自分から講演会の登壇を進言します。その講演会とは、アニスが発明した内容を完全に理解しているユフィが、否、そんなユフィだからこそ、その発明を彼女自身の口から発表し、魔法信奉の厚い貴族を相手に魔道具の技術を提言するというものです。

 

それは一見するとアニスの考えを受動的に代弁する”メディウム”に徹するという事に思えますが、講演の途中でユフィは魔学研究は精霊信仰を冒涜するものではなく、むしろ精霊への敬意によって生まれたものである事、封建的・保守的な信仰主義に異論を唱え、革新的な技術で未来を切り開く事を提言し、講演は幕を閉じます。つまり、台本にはないユフィ自身の意志を乗せたプレゼンが行われたのです。アニスの発明を魔法省に伝える受動的なメディウムとしての自分自身を放棄し、能動的に封建社会と対峙する事で、ユフィが媒介性を捨てて「直接的接触」を獲得した瞬間に他なりません。

f:id:Skarugo0094:20230331224021j:imagef:id:Skarugo0094:20230331223956j:image

Aパートでは自分の立ち位置を見失い、身体を椅子に隠されて”後景化”していたユフィですが、一転してBパートの講演においてはティルティが黒子(舞台上、”見えない存在”)に徹する事で、ユフィの存在感を浮き彫りに前景化されて映される対比的なフレーミングも相まって、強い説得力を感じます。

 

しかしながら、王位継承を巡ってアニス・ユフィの前に再び「ヒューマニズムの喪失」の問題が立ちはだかります。アニスが次期国王として継承の準備に取り掛かる中、彼女のアイデンティティでもある魔学は封印され、国王として節度のある振る舞いを”演じ”ます。異端とも言えるアニスの奔放さを封じるような遮蔽物の多さも相まって、アニスの表面的な明るさとは裏腹に鬱屈とした印象を与えています。「子供を産むための”借り腹”」として視線を向けられ、嫌悪感を露わにするアニスですが、ここにもやはり「子供を産む女」というメディウムとしてしかその存在価値を見出されていない残酷さも感じます。

f:id:Skarugo0094:20230331225306j:image

そんな時、ユフィは精霊契約者のリュミと出会い、自身が精霊契約を結んで国王となれば、アニスが魔学を奪われる事もなくこれまで通りの自由な生き方を選択できると考えます。しかし精霊契約の実態とは、ユフィ自身が精霊になる――人間をやめる――ことを意味しています。他方、「王位継承権」をユフィに横取りされる事は、アニスにとってもまた、ヒューマニズムの喪失を意味しています。上で触れたように、精霊一神教の国家において「魔法が使えない」ことは「人権がない」事と同義であり、そんな「人間未満」のアニスを「人間にしていた」のは、他でもなく「王女」という血統的な記号なのです。それが今やユフィ横取りされようとしているのです。封建国家を前に、アニスとユフィはヒューマニズムを喪失する以外にない。ここにもやはり、アニスとアルガルドの確執にも通底しているテーマが存在しています。

 

「自分が我慢すれば良いだけ」と譲らないアニスと、「アニスの本物の笑顔を守りたい」ユフィの衝突の末、ユフィが勝利し、精霊契約を結ぶこととなります。それは、上で触れたようにユフィのヒューマニズムを差し出す形でアニスの自由を守ったという事になりますが、もはや受動的なメディウムとしてではなく、むしろここではユフィが国王となって直接的に国と向き合う事を選択した点で、自己の直接性を獲得したユフィの成長物語の終着点でもあり、革命のスタートでもあるのでしょう。

 

他方、アニスは自分には前世の記憶があるという秘密をユフィに語り、今ここに居る自分という存在に確証が持てないことをユフィに打ち明けます。それはアニスの身体が「前世の人格を外部に伝達するだけのメディウムに過ぎないのではないか」という問いかけです。その問いに対するユフィの”答え”こそが、あの唐突にも思える”キス”だったのでしょう。「直接的」な身体の触れ合いによって、メディウムとしてのアニスの身体の”間接性”を否定――アニスが確かに”今ここに居ること”を肯定――する。ユフィのキスにはきっと、そんな意図が多分に含まれていたのかもしれません。

f:id:Skarugo0094:20230331224009j:image

そして、直接的な世界とのつながりを妨げていたもの=間接的メディウムをそれぞれが放棄し、再び直接的な接触――ヒューマニズム――を取り戻す物語こそが本作の本懐であり、反復して映し出される「虹」は、パラレル=間接的に描かれてきたもの同士が"直接的"に繋がること――接触――のシンボルとして、これからも二人の行く末を見守るのでしょう。

 

今回は以上です。