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「寄り道」が生み出す選択肢のドラマ 『スーパーカブ』2話 感想

趣味も目標も友達も無い、「ないない尽くし」の少女・小熊の日常が、カブとの邂逅を起点に彩られていくアニメ『スーパーカブ』。その1話が「カブとの出会い」に重きを置いた回であるとすれば、2話は「カブがもたらしてくれた出会い」の回とも言えそうな、”選択肢”の部分を起点に描いた挿話だったのかも知れません。

 

冒頭、ヘルメットの収納方法に四苦八苦する小熊の様子が描写されますが、これは自転車からカブへと通学手段の変更に伴う、「毎日のルーティンの変化」とそのイニシエーションとして丁寧に描かれます。こと本作は「登場人物との時間感覚の共有」に並々ならぬ拘りを感じる作品ですが、ヘルメットを脱いでからそれをカブに取り付けるまでの約1分強を省略せずに描いていたのも、きっとそういう意図があったのだと思います。

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何よりここで注目したいのは、登校してきたモブの生徒たちが「歩く」ムーブメントを一連のシークエンスの中に描写しているところです。バックで描かれるモブの動きもまた、「時間感覚」を思い出させてくれる一要素として機能していたのかも知れません。

急ぎ足で下手から上手へ駆けるモブの存在は特に顕著で、始業時間という迫るタイムリミットを感じさせます。一方でそんなモブとは対照的に描かれる、ヘルメットの取り付けに未だ格闘している小熊の悠長さは、彼女の初々しさと、可愛らしい類の生来的な「鈍臭さ」を醸し出していましたが、何より「小熊とカブだけの時間」をそっと見守るような、そんな優しさすら感じるシーンでした。

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チャイムが鳴り、驚いた後に髪を整え、カブのシートを軽く2回叩いて教室へ向かう一連の描写も同様です。新しい日常には新しいルーティンがつきものですが、こうした一通りの行動は、カブと出会う前と後とでは1日の始まりもまた変わっていく。そのプライマルたりうる彼女のルーティンに時間をかけて描写する事の意味。それは、今日から始まる彼女の新しい一日の始まりを祝福する、そんな意図があったのかも知れません。

 

 そんな小熊にとって新しい日常を共有できる新しい友達・礼子の存在こそが、今回の挿話において欠かせないものでした。カブとの出会いが、さらに別の出会いへと繋がっていく。だからこそ生まれる「選択肢」と「可能性」のテーマ。これは後述しますが、その導入として見事でした。


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とりわけ、お互いのバイク(広義)を紹介し合う駐輪場での対話が印象的です。駐輪場の屋根の中・あるいは駐輪場の内側、つまり空が入らない位置から両者をフレームに収めるのは、「カブ」という共通の話題を持ちながらも、どこか心の距離感が拭い切れない小熊の心理に寄ったものだと感じます。例えば授業終わり、礼子を横目に先に帰ろうとした小熊の行動から見えてくる彼女の中にある心の境界線のようなものだったり。


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続いて礼子が自身の原付を押して持ってくる一連のシーンで「空」がフレーム内に入るのは、礼子との心の距離がほんの少し縮まるような、そんな予感を思わせる描き方でした。

そして再度、駐輪場内から二人を捉えるショットでは、今度は空がフレーム内に収まるように映されます。小熊にとって、まだ完全に光を遮る心の「屋根」が取り払われていないものの、次第に打ち解けていく「可能性」を思わせる空。直接的なセリフではなく、映像面での構図から心理を捉えるショットの多くに感心させられました。


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Bパート冒頭、朝の支度シーンでは弁当の具を選ぶ描写が、1話のリフレインとして映し出されます。カブと出会ってから自分の中に生まれた「自信」の裏付けとして、数あるレトルトの中から一つを選ぶ事に迷いがなくなったのが1話でしたが、今回はまた彼女の中に生まれる新たな「迷い」を感じさせるモチーフとして用いられています。その迷いの起因が礼子の存在である事は言うまでもないでしょう。「友達」としての境界・距離感の拭えなさ。それでも、昨日までの関係性とは一味違っていたはずです。

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とりわけ教室での一連のシーンでは印象的なカットが多く感じました。先ずは小熊が礼子に「おはよう」の一言を発するシーン。小熊と礼子を分断していたであろう窓のフレーム=境界線を越える手前でカットが礼子に切り替わります。「境界線を越える」部分をあえて描き切らない事の意味。描くまでもなく、彼女はもう既にそれを「越えて」いるのだと。そこを描かないからこそ、このシーンの持つ説得力が生まれるという引き算の演出。小熊のちょっとした緊張感が伝わる声色の演技もさることながら、見応えのあるシークエンスです。


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もう一つ注目したいのがその後に続く本を捲るカット。ページを送る手が二人ともシンクロする描写では、小熊と礼子が心理レベルでもう既にその"境界線"を越えている事が察せられます。

また、駐輪場で一緒に昼ごはんを食べる際には、礼子がフランクフルトを口に運ぶ瞬間と小熊がご飯を口に運ぶ瞬間が重なるシーンも同様です。こうした心情の機微をセリフで説明する訳でなく、ちょっとした行動で表現する。そんな「引き算」的な魅力を感じさせる瞬間が多く、またこの作品の持ち味であるのだと、改めて感じさせられます。

 

「カブを起点に生まれる選択肢」がテーマであると上述しましたが、それは今回ちょっとした冒険として描かれた「寄り道」にも言える事なのだと思います。カブを入手したからこそ生まれた「自転車で通学するか、カブで通学するか」の選択肢。そこに迷いが無かったのが1話でした。

ならばこそ、今回新たに生まれる選択肢は「直帰するか、寄り道するか」だったのかも知れません。選択肢があるからこその迷い。それは小熊にとっての礼子の存在にも同じことが言えるかもしれません。チャイムが鳴れば「すぐに帰る」以外の選択肢を持ち合わせていなかった小熊が放課後、「礼子にカブを見せる」という"寄り道"をしたのもまた、小熊にとっての分岐点だったに違いありません。

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中古車故の安さから小熊に選ばれたスーパーカブ。それ以外に選ぶ余地は無かったのかもしれません。そんな選択肢の無い中で選ばれたカブが、小熊にとっての「新しく生まれる選択肢」の担い手、ひいてはその象徴として描かれるのが何とも含蓄があって良いです。