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「越える」のではなく「寄り添う」ための境界線 あるいは大戸アイは如何に優秀な”バックダンサー”だったか 『ワンダーエッグ・プライオリティ』 3話 感想

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夢と現実・生きている者と死んでしまった者・そしてアイドルとファン。

これまでもアイの両親・親友の小糸など「関係性の分断」に焦点を当て続けてきた『ワンダーエッグ・プライオリティ』。決して交わる事の無い両者の”分断”と、その一線を越える事の意味。 そうしたテーマが「アイドルとファン」の関係性に付随する潜在的な”分け隔て”によって、より鮮明な画として描き出されたのがこの3話だったのだと思います。

 

冒頭、(これは後の展開で明かされる)元ジュニアアイドルだったリカが”夢の世界”でワンダーキラーを倒す場面から始まり、彼女にとっての「救う対象」として「ちえみ」が映されます。彫像化したちえみから滲み出る手汗・彼女を「デブ」と罵るリカの露悪的な態度。そんなリカの表面上の「悪さ」とは裏腹に、一面に広がる美麗な花のロケーションは、”夢の世界”が「夢の主が持つ潜在的な想い」が具現化したものであると考えれば、リカの内面もまた一面的には捉えることのできない、彼女なりの葛藤を感じさせる画だったのだと思います。

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何より、リカが彫像のちえみに投げかけた「こんな綺麗なお花畑に囲まれて……。私ならともかく、デブのあなたに似合わない」のセリフこそが、リカとちえみ、ひいては「アイドルとファン」の両立し得ない関係性を意識させるものでした。

アイドルとファンの関係性は古くから様々な作品で語り尽くされたものですが、常に「お金」ひいては「報酬」を介在した交流の形である事は、どの作品においても同じなのだと思います。要はどこまで行ってもアイドルはアイドルのままで、ファンはファンでしかあり得ない。

 

対等な関係性が「友達」であるとすれば、「お金」という境界線で分断されたファンとアイドルは「対等」にはなり得ない。「対等でない」からこそ、アイドルはアイドルのままとして関係性のエントロピーを保つことができる、という一見矛盾しているようにも見えながらも、そんな関係性が”本来あるべきもの"だったのだという悔恨。

それを鑑みれば、「お花畑」というアイドルにおける「舞台上」を思わせる夢のロケーションで、ファンでありながらもアイドルと同じ目線に居る、彫像のちえみの「立ち位置の異質さ」が際立っていたようにも映ります。

 

花畑の上と下。これは「舞台の上に立つアイドル」と「舞台の下から眺めるファン」を表象するモチーフとして描き出されます。見て見ぬフリ・ワンダーキラーが今回、崖の下の海岸から攻めて来るのは、アイドルとしての脅威が「一線を越えるファン」であった事の証左だったのかも知れません。 そしてまた、今回エッグの中身として出てきたリコ・マコの2人組もまた、自殺したアイドルの後追いで命を落とすという意味では「ファンとしての一線を超えた」存在でした。

 

「アイドルとファン」の関係性を「生きている者と、死んでしまった者」の文脈で描くあたりは『ゾンビランドサガ』を彷彿させます。この作品もまた、生者と死者・アイドルとファンは決して交わることのできない関係性で、でもその関係こそが本来の形であって、だからこそアイドルのままで居られる。この3話も、それと同じ輪郭を持って話す事のできる回だったのだと思います。


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今回アイは、そんなリカを助ける側として、リカの夢の中で共闘するのですが、ここで冒頭の「バックダンサー」のくだりが活きてきます。 アイドル以外に舞台上に立つ事のできる存在。しかし、そんなバックダンサーであるアイは、ステージの上に居ながらもスポットライトには当たらない存在。そんなアイの描き方・ポジションが絶妙でした。


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特にAパート冒頭。リカがアイの「あだ名」を言い当てようと探るシーンでは、リカに当てられる光と、一方でアイは光の届かない家のドアの前に居るポジショニングからも、その関係性は表れていように映ります。 また、アイドルには「愛称」はあれど、バックダンサーの名前まで覚えている者はそう居ない。同じ”夢の世界”という「舞台」に居ながらも、その光を浴びる者とそうではない者との”分け隔て”が印象深く描き出されます。

 しかしその”分け隔て”が重要で、むしろ「境界線」ひいては「個のテリトリー」を越えてしまう事の違和感こそが、今回のフィルムコンセプトとすらも思えます。

リカはファンであったちえみが万引きで得たお金を自分に貢いでいたという事実・それがきっかけで両者の関係が拗れて、結果的にちえみが死んだ過去が後に明かされますが、新しい「財布」代わりを目的としてアイに近づいたのは、本人が自覚的だったか無自覚だったのかは不明ですが、リカもまたアイの「境界線」を越えようとしていたようにも映ります。

 

”不均衡”な関係のちえみとリカを繋いでくれる唯一の媒体だった「お金」。そんな「お金」に対する異様な執着を見るに、欠けてしまった「ちえみ」の部分を何かで埋めたくて仕方がない、そんな彼女なりの「代償行動」の表れだったのかも知れません。


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また、リカが執着しているのは「お金」だけではなかった筈です。冒頭でねいる・アイの3人で果物を食べる一連のシークエンスでは、真っ先に手を付けたほか、一度に二つも食べるあたり、一見すると年相応の可愛らしさも伺えますが、やはりそこにも上で触れた「代償行動」の意図を感じ取ってしまいます。

また、同じくAパートのアイの部屋での応酬では、やはりアイのケーキを「貰おう」と、アイの横のパーソナルスペースを陣取ります。そうした一線を超えた代償行動は、むしろあれだけリカの危惧していた「行き過ぎたファン」側の思考にすら、寄ったものと感じられます。

 

このように「誰かからものを貰う」描写が幾度と描かれるたのは、外でもなく「境界線を超える」意図を含んでいたのかも知れません。

その極めつけとも言えるのが、「見て見ぬフリ」がリカの夢の中で出現した直後での、アイとのやりとりです。 日常的にリストカットをしていたと思しきリカの武器が「カッターナイフ」である事を考えれば、自身の持つトラウマや未練がそのモチーフとして夢の中で武器として具現化すると考えて良いでしょう。

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リカはアイの武器であるボールペンを物欲しそうに「取り替えてほしい」と呟くのは、アイドルとして常に不均衡の関係性を強いられながら生きてきたリカにとって、あくまでも対等な「友達のこと」で悩むことのできるアイをつい、羨望の目で見てしまう。そんな両者との「相容れなさ」が表れたシーンでもありました。

 

 しかし、「相容れなさ」で線引きされたテリトリーに「入る」ことはできずとも、「寄り添う」事ができる。それこそがこの3話で一番描きたかった事なのだと思います。

リカがちえみとの過去をアイに語るシーンでは、意図的にフレーム境界線が描かれます。悩みを打ち解けるシーンでそうした「境界線」を描く事の意味。それは、「その人の持つ悩みや葛藤は、その人自身が向き合う事でしか解決できない」という分断が意図されていたのだと思います。それこそ、持っているトラウマをアイと「取り替える」事のできないように。


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そしてそれは小糸という親友を失ったアイにとっても同じだったはずです。小糸が悩みを打ち解けてさえくれえば、自分だけ一人取り残される事もなかったという「恨み」。回転する灯台のロケーションは光と影を交互に作り出し、アイの持つ小糸への「友愛」と、自分を置いて先立った事への「憎しみ」。そんな二律背反の混濁した気持ちを映していたのかも知れません。 アイの武器が「ボールペン」だったのは、小糸ともっとコミュニケーションを取りたかった、そんな彼女の後悔が、「書く」ためのコミュニケーションツール=ペンとして表象されているのかも知れません。

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だからこそ、今度はアイ選んだ「リカと”一緒にぶっ殺す”」の選択が、より説得力のあるものとして描き出されます。葛藤を振り切って、階段を下手から上手へと駆け抜けるダイナミックなシークエンス。そして階段を上がった先で振り向きざまに、「一緒にぶっ殺す」宣言。 ここで注目したいのは、灯台の丸い光がアイの顔にかかる直前で、カットがリカに切り替わるところです。

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 あくまでもアイは「光の当たらないバックダンサー」に徹する事の意味が、そこには込められているようにも感じました。それは、まさしく「リカの葛藤は、主役であるリカが解決しなければならない」という部分。寄り添うところまでは”バックダンサー”の仕事。”それ”に打ち勝つのは、あくまでも物語の主体であるリカの役目である事。

 

そして「他者のテリトリーに寄り添う」事と、「踏み込む事」は、一見すれば似ていますが、根本的な部分では異なっています。それは今回ラストで登場したメデューサ型のワンダーキラーが、「一線を超えた厄介オタク」の象徴として描かれていた事を見れば明白です。だからこそ、「間違ってもあなたのようにはならない(意訳)」というニュアンスが重要な意味を帯びるのです。冒頭で幾度と描かれたように、むしろ「他者の境界線に入り込もうとする側」だったリカ。そして今度は「間違えない」という選択が、より説得力を増して描き出されたように思えます。 そんな矢先に、リカはワンダーキラーの攻撃によって石化してしまい、この3話は幕を閉じます。


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 想定線を超えて、リカとアイ・上手と下手が入れ替わる一連のシークエンス。主役を失った”舞台”を任せられるのはアイしか居ない。だからこそ「バックダンサーから昇格」したのでしょう。今度はアイが「物語の主体」に入れ替わる物語の「引き」は、これまで以上に熱量と緊迫感のあるフィルム体験でした。