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『仮面ライダー鎧武』1クール目の感想と、印象に残った演出・モチーフについて(上手/下手・電車・階段・水) 後編

前回の記事では、ビートライダーズ編前半の山場・5話までの演出と気になった展開について書きましたが、今回は6話〜14話(ビートライダーズ編〜ユグドラシル編の導入)についてです。

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ここでもやはり、「フェンス」が重要なモチーフとして登場します。戒斗率いるチームバロンの傘下に入ったはずの初瀬と城乃内の初変身お披露目シーンでは、力を手にした2人が突如、戒斗を裏切る形で奇襲。追い詰められた戒斗をフェンス越しに映すショットは、「インベスゲーム」から「ライダーバトル」へと戦いが確実に新たなステージへ転換し、後には引けない戦いを自覚させるような演出でした。

この場合、フェンスは「遮るもの」と言うよりは、「閉じ込めるもの」としてのモチーフを帯び、1話でインベスから逃げる紘汰を遮ったフェンスと対比するように用いられている印象を受けました。

 

ビートライダーズの勢力図ができ始めた矢先、6話・7話では鳳蓮・ピエール・アルフォンゾ=仮面ライダーブラーボによる場荒らしが繰り広げられます。ここで注目したいのは、ピエールがビートライダーズとは何の関係もない部外者であること、そしてユグドラシルサイドとも関与しない、完全なる第三勢力の「大人」であることです。

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”遊び”が気づかないうちに”遊び”でなくなる事の怖さが描かれた後、ステージを懸けて「真剣勝負」に身を投じるまでのシフトが5話までで描かれましたが、さらにそこへ「元軍人」兼現パティシエのピエールが、彼らビートライダーズにとって紛れもない「真剣勝負」ですらも、”お遊びレベルの小競り合い”として、「本物の力」を示す為にライダーバトルに乱入。「修行」を経て認められて初めてパティシエに成ったピエールにとって、何のイニシエーションも経ずにステージで踊る若者に対するマウント構図を、ステージの上手にピエールを位置する事で、より説得力の増す画に仕上がっていました。

 

前回の記事でも触れた「上手・下手」の位置関係の重要性は、特に「ステージの奪い合い」を徹底的に描いてきた本作だからこそ、強烈にその意味を帯びていくのだと思います。ローマの剣闘士を思わせる仮面ライダーブラーボの風貌もさることながら、「聴衆に”エンターテインメント”として、本物の戦いを魅せつける」彼の戦闘スタンスは、ステージの下で戦いを観るもの=視聴者とは裏腹に、あくまでステージの上で本人たちは「真剣に」戦っている・ステージの上と下との分断をより鮮明に描くものだったと思えます。 

そんな「”下”で観るもの」と「”上”で戦うもの」、さらに自分たちが「ビートライダーズ」の枠組みの中で、彼らなりに熾烈な戦いを繰り広げてきた”ステージ”そのものも、ユグドラシルにとっての「モルモットの飼育場」に過ぎないという構造こそが、第2クールにおけるフィルムコンセプトでもあります。

 

上手と下手に関連して、8話で舞がヘルヘイムへ迷い込んだ際に戒斗と遭遇・行動を共にする中で、戒斗が自身の持つ「強さ」への執着の真意を吐露するシーン。

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激しく流れる滝の「上から下」への方向性は、戒斗の持つ「強さ」に対する重圧を映し出します。強さを求める者の描写として古くから「滝に打たれながら耐え忍ぶ」といった表現をされてきましたが、企業として強大な力を持つユグドラシルの都市開発計画の前で幼かった自分が何もできず、住むところを追われたからこそ「誰かに踏みにじられない為の強さ」の必要性を痛いほどに感じ、それを得る為に人しれず忍耐を繰り返してきた戒斗の思いを語るに際し、「滝」のロケーションは無視できない要素だと感じます。

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また、ここでは舞と戒斗の間に位置する木がフレーム境界線として画面を綺麗に二分割します。下手の舞が、境界線を超えて上手の戒斗の側に付く一連のシークエンスでは、自分の思う「強さ」を語る舞の立ち位置、そして戒斗の思う強さをあくまでも否定せずに「寄り添う」事に徹する。

そして強さに対する使命と責任を抱えていたのは、舞もまた同じだったはずです。戒斗の上から降り注いていた滝が、今度は舞の側に落とされるように映されたのは、戒斗の思い=重圧を分かち合おうとする舞の心情を表すに十分だったと思います。

 

同じく8話。光実がシドからロックビークルを貰うために説得するシーンでは、光実の顔を窓からの逆光で映すショットで捉えます。写真や映像において「逆光」は被写体を黒く映す事で、「見えない部分を作る」演出意図として多く用いられていますが、光実の表情を逆光によって「見えづらくする」事によって、彼の腹の底の読めなさや、二面性を象徴する画に仕上がっていました。

 

また、光実の方が窓に近く、シドはやや離れて斜め左という両者の位置関係も絶妙でした。この位置関係によって、光実視点から見ればシドの表情は順光で「見える」のに対し、シド視点では光実の表情が逆光で「見えない」レイアウトに仕上がっています。これは、シドを手玉に取ってうまく利用しようと目論む光実と、そんな光実の底知れぬ狡猾さに恐怖すらも覚えるシドとの関係性を対比的に描いた、印象的なショットです。

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貴虎によるヘルヘイム関連の隠蔽工作ユグドラシルの「実験」の一端を知る9話〜11話。そして12話では対ユグドラシルを巡って起こる紘汰と光実の「すれ違い」は、視覚的なモチーフと、人物の立ち位置・ロケーションを含めた位置関係によって克明に描き出されます。

 

クリスマスゲームで垣間見たユグドラシルの陰謀と、自分たちがモルモットとしてその実験に加担させられていた真実。「変身する」行為そのものがユグドラシルの計画に組み込まれた1つの実験プロセスであるとは解っていながらも、先ずは目の前の襲われている人を助けたい紘汰。 変身さえしなかれば目の前の人は助けられずとも、長い目で見ればユグドラシルの実験を止める事ができるかもしれないと考える光実。

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Bパート冒頭。線路をバックに、対ユグドラシルのスタンスの違いが語られる中、通過する電車が意味深に映されるのは、平行線であくまでも交わる事のない両者の「すれ違い」が仮託されていたはずです。ここの一連の会話シーンでは、お互いに下手から上手へと同じ方向へ進みながらも、暫くは目を合わせずに「変身して戦い続ける事の是非」が平行線の会話として映されます。 

光実が一歩先で紘汰の方へ振り返り、これ以上変身しないように諭す瞬間初めて目が合うのは、決して「心を通わせた」訳ではなく、むしろ「衝突」の示唆であったと言えます。「対ユグドラシル」の方向性そのものは同じであれど、両者の間に大きな断絶があることは、この一連のシークエンスを見れば明白だったと言えます。

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その後のシーンでもやはり、紘汰と光実は目を合わせる事なく会話が繰り広げられます。それも光実は若干、紘汰を置き去りにして距離感を生み出します。バックでは上手(光実側)から下手(紘汰側)へと車が流れるのは、対ユグドラシルに際して一方的に気持ちだけが前のめりになってしまう光実の焦燥感をもイメージさせます。

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 「すれ違い」の極めつけとも言えるのが、先々と足を早めた光実が、ついに紘汰を階段へ置き去りにする一連のシークエンス。物理的な距離感もさる事ながら、「段差」でX軸とY軸の両方から距離感=断絶を生む印象的なショットでしたが、ここでもやはり注目したいのは「階段」のモチーフ性についてです。

 

本作において「階段を下りる」とはすなわち「戦いを降りる」事に他なりません。

変身しなければ、ユグドラシルの実験に加担することもなく、思惑から逃れる事ができると考えた光実は、紘汰に戦極ドライバーを捨てるように提案します。 変身能力を失う事に何の躊躇も感じなかった光実の心情は、迷いなく階段を降りる芝居からも読み取ることができます。 対する紘汰が階段で留まったのは、変身能力を手放す事への葛藤を意味していたのは言うまでもありません。

 「戦いを続けるか、降りるか」の葛藤が階段というモチーフで語られた12話でしたが、続く13話では、そんな12話とは対照的なモチーフとして映し出されます。 


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クリスマスゲームで貴虎に戦極ドライバーを破壊された(これは貴虎の故意ではなく不慮の事故だった)、チームレイドワイルドの初瀬は当然その変身能力を失います。

力を失った初瀬が幻覚に怯える一連のシークエンスでは、階段を塞ぐように出没するインベス・階段を降りた瞬間に現れる更に別のインベスが、幻覚として彼を襲います。

ベルトを破壊された初瀬は次のステージへと「上る」事もできず、かと言って「戦いを降りる」事も許されない。『鎧武』の持つ「一度力を手にした者は、最後まで戦わなくてはならない」という作品テーマを的確に表したイメージショットとも言えます。

 

そしてこの13話で初瀬を通じて描かれた、力を持たぬ者が強烈に自覚する「死」の存在感は、「ベルトを手放せば戦いは終わる」という、12話で語られた光実の甘い打算を打ち砕くに十分だったのだと思います。 そしてもう既に、自身が望まなくても変身して戦わなければならないほどに、街中でインベスが蔓延している状況によって、否が応でもマッチポンプを強いられる構造。 

本作が虚淵脚本繋がりで『まどマギ』とよく比較される印象がありますが、何も知らされずに力を与えられた「若者」と、それによって生じる一切の後処理は彼らに任せ、その成果物だけを横取りしようと”モルモット”の観察を続ける「仕掛け人」の構図はまさに『まどマギ』でも克明に描かれていました。

 

続く14話では、失った力を求めるあまりにヘルヘイムの果実に手を出した初瀬のインベス化と劇的な死が展開されます。

初瀬には近づかないように、チーム鎧武の仲間に警告する紘汰。しかしその核心部分を伏せていた事で、チーム鎧武の一人がインベス化した初瀬に襲われ、怪我を負います。

大事な事を舞たちに隠していた事で、図らずも被害者を出してしまった事実は、「ユグドラシル隠蔽工作を暴こう」としてきた紘汰にとって、強烈に刺さるブーメランだった事は容易に想像できます。

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一方で光実はユグドラシルに潜入、行方不明になった裕也が既にインベス化し、それも紘汰の手によって既に殺されていた事実。カットバックで「人間だった」初瀬と紘汰の死闘を映す演出・そして残酷な展開とは裏腹に、今回の舞台である水場の美しさが目を惹きます。流れる水のロケーションで繰り広げられる初瀬=へキジャインベスとの戦い。そこには「涙」という、仮面ライダーにおける「同族殺し」の象徴を仮託した意図を感じずにはいられませんでした。 


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 下手のシドが、上手の初瀬に引導を渡すシーン。初瀬は初瀬としか見ることのできない紘汰の葛藤と、一方でユグドラシル側の視点で見れば「倒すべき敵」に過ぎない。そんな両者との断絶を如実に表したショットだったのかもしれません。

 

本日は以上です。