ロリポップ・アンド・バレット

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『BanG Dream! Ave Mujica』1話感想 「箱に収まらない」箱入り娘について

「箱入り娘」として裕福な家庭で大事に育てられた祥子は、しかし母との死別・父が巨額の詐欺に遭ったことから、その生活は一変します。祖父の元で生きる選択があったものの、あくまで父についていく事を選んだ彼女。自暴自棄になって飲酒に明け暮れる父との暮らしをアルバイトで生計を立てていくという困窮した生活が続く中、彼女が発起したバンド・Ave Mujicaの活動に邁進することで、過去の未練を断ち切ろうとします。

父との厳しい貧困生活が続く一方で、Ave Mujicaの活動は早々に武道館ライブが決まるなど、次々と輝かしい実績を残して活動の規模を広げます。しかしながら、バンドの成功は祥子にとって事態を好転させるものではなく、むしろ父との軋轢をもたらします。強かに先に進んでいく娘に対して父は自己嫌悪に陥り、ついには祥子を拒絶する始末。祥子はそんな父を「クソ親父」と一蹴し、家出してしまいます。

父との暮らしは、武道館ライブという大きな「ハコ」を得た今の祥子にとって、あまりにも狭すぎる”箱”だったのでしょう。そうした「”箱”の不釣り合い」故に生じる軋轢は、バンド内にも起こります。

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覆面バンドのAve Mujicaはメンバーにそれぞれ役名が与えられ、台本によって行動が規律された精緻な世界観です。そこでは、sumimiの三角初華は「ドロリス」でなければならず、インフルエンサーの祐天寺にゃむは「アモーリス」であるように、現実における個々のアイデンティティや素性から隔離された「箱庭」です。ここでは覆面バンドの慣例に従い、仮面に隠された演者の素顔は「見えないもの」として観ることになります。

Ave Mujicaメンバーの一人であるドラマー・祐天寺にゃむは主に動画投稿サイトで活躍しているインフルエンサーですが、自身のネームバリューを活かせないAve Mujicaのそうした「覆面バンド」活動を快く思わず、武道館ライブではついに台本を逸脱して自身とメンバーの仮面を外すという暴挙に出ます。「素顔で活動すれば話題性も上がって、もっと大きな”ハコ”で活動できるはず」という機会損失に対する祐天寺にゃむの抱くもどかしさを考えると、「”箱”の不釣り合い」に纏わる問題がここにも表れていることが分かります。

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メンバーの素顔が公然と暴露された今、「実名を隠して役を演じる」というAve Mujicaの世界観は現実と融解し始め、〈虚構/現実〉の境が曖昧になります。

「よくご覧になって。この完璧な笑顔を。」というオブリビオニス(祥子)の台詞に対し、「完璧?こんな貼り付いた笑顔、誰も欲しくなーい。」というアドリブの台詞で祐天寺にゃむは介入し始めたことをきっかけに舞台の流れが変わりました。このアドリブの台詞から表れているように、「物語に介入して演者の素顔が見たい観客の代行者」として祐天寺にゃむが舞台に立ち現れているのです。この時、オブリビオニスをはじめとする役者たちは物語を進行する役割を奪われ、祐天寺にゃむの支配下に反転します。

物語における「トリックスター」とは、複数の世界を自由に行き来できる存在といいます。ここでは祐天寺にゃむがAve Mujica世界観の内側―アモーリスという”人形”の役割を与えられた虚構と、外側―インフルエンサーとして活動する現実とを、自由に往還できる正しくトリックスターとして彼女は主体化しています。

一方で父を見捨て、もはやAve Mujicaしか残されていない祥子の置かれた状況は「箱庭に囚われた存在」と換言でき、その点において〈虚構/現実〉を自由に往来できる特権的なトリックスターのにゃむとは対比的に映ります。しかし今やその箱庭も”完璧性”が廃され、祥子の望んだ「箱」ではなくなりつつあるのです。

振り返れば、祥子は「メンバーの人生を預かる」というスタンスでAve Mujicaの活動を推進してきました。しかしその言葉には「自分は他者の人生を掌握している側の人間である」という彼女の傲慢さが表れており、アンコントローラブルな要素を度外視しているところからも、何でも自分の思い通りにできた「箱入り娘」の幻想から抜け出せていないのかもしれません。事実、祐天寺にゃむによる謀反・父からの拒絶をきっかけに、自分の収まるべき「箱」から、祥子は尽く”外”に追いやられる他ありません。

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「他者の人生を預かっているつもりが、他者に人生を掌握されているのは自分の方だった」という「逆取得」じみた状況に陥り、箱入り娘だった祥子は、今やどこの箱にも収まりが悪いという皮肉めいた事態。祥子の望んだ箱庭の”完璧”さは失われ、清濁併せ呑むカオス空間と化したAve Mujicaが、どのような「箱」に変貌していくのか、行く末が楽しみです。

余談ですが上で出てくる単語「逆取得」は会計用語です。事業分離会計において「ある会社が事業を他社から取得した結果、逆にその他社によって支配されてしまう」という買収形態を指します。