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『仮面ライダー鎧武』1クール目の感想と、印象に残った演出・モチーフについて(フェンス・階段・枠) 前編

東映特撮Youtube Officialにて配信中の『仮面ライダー鎧武』をリアルタイムぶりに再視聴。大まかなストーリーは把握しているが、改めて細かなセリフや演出に着目して見てみると再発見が多かったので、1クール目(14話まで)で「気になった演出や展開等、一度まとめておきたく思った次第です。ひとまずビートライダーズ編の前半の山場である5話までの雑感を。6話〜14話はまた追い追い。

 

1話。ビャッコインベスに追われる紘汰が障害物を飛び越えながら上手から下手へと逃げる一連のシークエンス。ここの佐野岳のアクションが凄すぎてつい気を取られてしまいますが、紘汰の逃げ道を塞ぐフェンスこそが、彼の先に待つ「運命」や「超えてはいけない一線」「新たなステージの扉」など、鎧武において重要なテーマを感じさせるモチーフでした。 また、1話はダンスチームを抜けて、一足先に「大人になろう」とする紘汰の決心とは裏腹に、「大人になる=変身する」事の本当の意味には気づけないままでいる、そうした「子供から大人」のイニシエーションとして、物語が導入されます。逃げる紘汰を遮るフェンスは「大人としての方向性」に悩む紘汰の岐路としても大きな意味を持っていたに違いありません。

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そんな紘汰がビャッコインベスに突き飛ばされ、フェンスを超えた先で初めての「変身」をお披露目するシークエンスは、「運命」に翻弄されながらも最後はそれを自分の手で選び取るという、本作の行く先を見据えたようなフィルムでした。

 

また、1話ではフェンス以外にも「階段」もまた、子供と大人を分かつ象徴として描かれます。例えば建設業のアルバイトで脚立を”上る”紘汰と、チーム鎧武の本拠地の階段を”下る”舞の2つの場面をカットバックで映す場面は、ダンスチームを抜けて大人になろうとする紘汰と、あくまでも今のままダンスを続けたい舞との対比として描かれました。

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ここで注目したいのは、両者とも単純に「大人・子供」として描かれてはいない点です。足場が不安定で度々足元を見ながら上る紘汰の芝居は、「大人になる」事の土台の部分が未だグラついていて、子供のままでいる事に対する未練を象徴するカットに感じました。それは階段を降りようとしたその足が「踊り場」で立ち止まった舞にとっても同じだったはずです。

 

階段はその性質上「上る」か「下りる」のどちらかの動作を選ぶものですが、そのどちらでもなく「立ち止まる」選択をしたのは、変わろうとする紘汰を横目に、今のまま変わらずに居たいという、「踊り場」に仮託された舞の心理と焦燥感を的確に表したショットだったと言えます。

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また、「もう一人の舞」が変身した紘汰に、運命の岐路に立たされている事を警告しに現れるシーンでは、まるで紘汰に目線を合わせるように階段から下りる動作が印象的でした。既に「運命」を手にする覚悟を決めてきたもう一人の舞と、これから運命を選択する紘汰。上記と同じ「階段」をモチーフにしながらも、その両者の対比はまるで上で述べた二人の関係性が逆転しているようにも映ります。

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改めて見てみると、1話の段階で「フェンス」「階段」の2つが大きなモチーフ性を帯びている事に気付かされます。「新たなステージに進む事への期待と葛藤」という鎧武のテーマを象徴する舞台装置だったのかもしれません。

 

そんな鎧武のテーマを包括する回が他でもなく、5話でした。前の4話では紘汰は無残にも仮面ライダー斬月に敗北。これまで自分たちの踊るステージを懸けたインベスゲームという、「ルールの中での競争」から、ルールが通用せず理由のない悪意に晒される世界に踏み入れた紘汰は、戦極ドライバー=力を手にする事の本当の意味に怯えます。

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戦極ドライバーを起点に左右が切り替わるダッチアングルは、揺れ動く紘汰の心情を的確に表したショットと言えます。

自分が力を持てば、力を持つ別の存在と戦わなくてはならない事。ともすれば今度は自分が誰かを「手にかける」側に立ってしまう恐怖の中で「力を受け入れて戦う理由」を見出す、続く5話では「枠を超える」がキーワードとして描かれます。

 

舞も光実も、「自分たちのステージのために戦う」事を決めている中で、軸の定まらない紘汰は舞の立つタイルの「枠」に踏み入れる事ができない。 

「誰かを守るために戦う」紘汰と、自分の為に戦う道を選んだ光実の対比。守る「誰か」を戦う理由にする事は、裏を返せば選んだ力を誰かのせいにする事でもあり、それを紘汰に内在する「甘さ」として表した描写に感じます。

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「自分で自分の責任を取れるのが大人」という紘汰姉のセリフが、ここで活きてきます。力を受け入れて戦う道を選んだ紘汰の「変身」。まさに子供から大人への変身と同義であり、インベスゲームから一歩進んだライダーバトルへと戦いが新たなステージへ進む痛快なフィルムに仕上がっていました。

 

自分の中の「枠」に囚われていた紘汰が、パンチで文字通り枠を「壊す」視覚的な演出・踏み入れた「ステージ」で紘汰が物語の主体として上手に位置するシークエンスの数々が、戒斗の言う「枠からはみ出た存在」としての力強さを物語っていたようにも思えます。

 

しかし、それは同時に「これまで通りのルールが通用しないステージ」への一歩でもあり、戦極ドライバーを手にする者が増えたということは、「力がなければ戦えない」という新たな不穏さを醸し出しているようにも感じました。

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紘汰に憧れて龍玄の力を得た光実の、夢の中で描写される力を手にした本当の理由。淀みのない川への被写界深度の転換。「舞に振り向いてもらう為に戦う」という、ともすれば不純とも表現できそうな動機とは裏腹に、曇りのない舞への純粋な気持ちを物語っており、後に起こる紘汰との主義主張の違いの兆しはこの段階で既に息を潜めていたのかもしれません。

 

「ビートライダーズの勢力図」ができ始めた中、6話では仮面ライダーブラーボによる場荒らし展開が繰り広げられます。これ以降のエピソードについては後半で。