読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

シゲの鑑賞日記(仮)

主に趣味(アニメ、仮面ライダー、ポケモンなど)を自由気ままに語りますヾ(๑╹◡╹)ノ" 特に、アニメの感想などをつらつらと書いていくつもりです^ ^

『プラスティック・メモリーズ』から感じたアンバランスさとテーマ性について

f:id:Skarugo0094:20170519210843j:image

こんにちは、シゲです(^ ^)

プラスティック・メモリーズ』(以下『プラメモ』の第1話を見た時、その素晴らしい演出で感動をしたと同時にある種の「不安」が頭によぎった事を今でも覚えている。端的に言ってしまえばその不安の正体は「無理がありすぎる設定」であった。

 

設定をザックリと整理してみると、寿命が9年しかない「ギフティア」と呼ばれるアンドロイドを製造する会社に、主人公のツカサは就職する。

ツカサが配属された部署は、もうすぐ寿命を迎えるギフティアを回収する「ターミナル課」であった。そこでギフティアである「アイラ」とパートナーを組んで回収の仕事に回るのだが、アイラ自身の寿命も近い事を知ってしまう。

なおギフティアが寿命を超過すると自我を失って暴走を始める。(この状態をワンダラー化と呼ぶ)またosを書き換える事によって、体だけそのままに"人格が変わった状態で"再度使用可能になるというもの。

 

ギフティアとの別れを描いてゆく感動的なストーリーが基本になるのだが、上記の設定に対し、私は強い違和感を覚えたのだ。暴走する危険があるギフティアをやすやすと世に出していいものなのかとか、なぜosを変えると人格が変わるのか(前の人格は保持できないのか)等、かなり奇妙な設定から物語は進んでいくことになる。

 

第1話の時点ではこの設定の「いい部分」を全面的に押し出し、ハイレベルな演出も相まってうまく完成されたストーリーとなっていた。たしかに設定の穴は大きいのだが、有り余る演出と勢いでそれを補っていたように見えたのだ。

 f:id:Skarugo0094:20170519211145p:image

問題が現れはじめたのが4,5話での闇回収屋のくだりである。「ギフティアと、ギフティアに育てられた子供」の温かいドラマが展開されて良い話だなぁ…と思っていた矢先何やら怪しい男たちが家に押しかける、という物語の引きは非常にハラハラしたのだが…

ギフティアの暴走」を描きたかったのは分かるのだが、あまりにも胸糞が悪すぎたと言わざるを得ない。結局闇回収の目的もわからずじまいだった上、救いようのなさすぎるオチでめちゃくちゃ胸の奥でモヤモヤした気分になった。

 

このエピソードを受けてミチルの父の暴走やカズキさんの過去も回想として出てくるのだが、ぶっちゃけこのワンダラー化という設定は『プラメモ』において必要だったとは思えないのだ。プラメモは「限られた時間でどれだけ思い出を残せるのか」というのがメインで展開されてきたのだが、明らかに「暴走」という要素が浮いている気がしてならなかった。

確かに物語のスパイスとして多少はシリアスなエピソードはありではあるだろうが、この闇回収屋とワンダラー化はスパイスが効きすぎて「プラメモ本来の味」を殺してしまった感がどうしても拭いきれない。

 f:id:Skarugo0094:20170519211337j:image

だがこの作品にも勿論良いところもある。

8話での「osを入れ替えたギフティアは前のギフティアと同一人物と言えるのだろうか」というエピソードは個人的にとても気に入っているのだ。

前の人格では「クラゲジュース」が苦手だったギフティアがosを入れ替えた途端に物怖じせず飲んで「美味しい!」と発するシーンは、もう前のギフティアとは別のギフティアであるという上手く、そして切ない演出であった。

それだけに、メンテナンスのエルが発した「思い出を作れるのは今、この瞬間しかない」というセリフがものすごく重く響き渡るのだ。と同時にこのセリフが『プラメモ』の提示するテーマであったと感じる。

アンドロイドものの作品ではよく「人格」や「精神」というテーマが扱われているが『プラメモ』も、そのアンドロイドものの王道をしっかりと描けていた作品だったのだ。

 f:id:Skarugo0094:20170519211707j:image

だからこそ、ものすごく惜しい作品なのである!何度でも言うがこのアニメの演出はかなりハイレベルである。オープニングで毎回アイラの表情が変わるなど、細かな所でもしっかりと物語の儚さを表していた。そして「泣き」に特化したアニメだった!だがその土台が「あまりにも無理がある設定」だった為、どうしてもグラついてしまうのだ。要はものすごく力を入れた演出と、不自然すぎる設定が見る人には非常にアンバランスに映ったのである。

 

そしてこの作品を観て頭の中に「認知症」という言葉が頭をよぎった。寿命が近いギフティアは今まで出来ていた事が徐々にできなくなっていき、最後には我を忘れてしまう。この流れがどうしても「認知症」と重なってしまうのだ。料理の味付けがいつもと違うという小さなところから始まり、日に日にものを忘れてゆき最後には自分が誰なのかわからなくなる、というものが一般的な認知症のイメージである。

 

これはあくまで妄想の域を出ないが、『プラメモ』は認知症を扱おうとしたけどそれではあまりにもダイレクトすぎるから「ギフティア」というアンドロイドを代わりに用いたのではないか、と考えた。不自然な設定の裏側にはこういった経緯があったのだと考えられなくもない…。

 

認知症 推移」で検索してみると「2025年問題」というワードが出てきた。めちゃくちゃ掻い摘んで説明すると2025年には5人に1人が75歳以上の超高齢社会が訪れるという事である。

そうなると認知症患者も増加する一方だとか…

そんな時代がすぐそこに来るからこそ、『プラメモ』は「思い出を作れるのは今、この瞬間だけ」というテーマを掲げたのだろうか。

 f:id:Skarugo0094:20170519211842j:image

少し話が脱線したので話を戻そう。

総評としては『プラメモ』はガチガチな演出に反して設定がとても不安定でうまく噛み合わず、非常に惜しい作品であると上で述べた。

実は、個人的にプラメモは二期があってもいいかなと考えている。というのもラストの"アイラらしき"ギフティアとツカサがこれからどうやって関係を築いていくのか、そしてアイラと重ねてしまって苦悩するとか、こういった話の展開は十分にできると思っているからである。(売り上げ的に厳しいかもしれないけど…)

あのラストはとても余韻が残る終わり方であり、見る人にこういった想像をさせる良いクロージングであったと感じている。

 f:id:Skarugo0094:20170519212359j:image

2015年のアニメは『charlotte』『がっこうぐらし』等の変化球がとても多かったイメージであるが『プラメモ』も変化球の一つであり、痒いところに手が届かないものの非常に挑戦的なアニメだったと私は感じているのだ。

精神年齢が低い人間はなぜ「成長」できないのか

f:id:Skarugo0094:20170501003704j:image

こんにちは!シゲです!

皆様の周りにも、「この人何だか精神年齢が低いなぁ」と感じる人間がいないだろうか?今回このような記事を書いたのは、私の周りにも少なからず精神年齢が低いと感じる人間が居たからである。

 

そもそも「精神年齢が低い」とはどういう状態なのかを説明すると、

①衝動を抑えられない

②妥協できない(周りに合わせられない)

③他人から注意されると"過剰に"自分を正当化したがる

個人としてはこの3つが大きなファクターとなってくると考える。それぞれについて詳しく見ていきたい。

 

①衝動を抑えられない

というのはそのままの意味である。と言ってもその時の状況によっては普通の人間でもつい、ブチ切れてしまうような場面はあるだろう。(私にも理不尽な目に逢えばつい相手に言い返しすぎてしまう時がある。これは私の悪い所なので気をつけなければ…)しかし精神年齢が低い人間はその、ブチ切れるラインが"非常に"低かったりするのだ。皆様にも子供の頃に中々思い通りにならない場面ではモノを投げてしまったり、つい友達を傷つけてしまったという記憶があるだろう。

まさか社会人にもなってモノを投げつけるような人間はいないだろう。それは「こんな場面を周りに見られたら恥ずかしい!」という"羞恥心"と「こんなことをしたら周りの人に迷惑なのではないか」という"周りへの配慮"を身につけているからである。こういった「衝動性」というものは通常、年齢が上がるにつれてコントロールが利くようになるはずである。だがこのコントロールが利かない人間は皆のすぐ身近にも存在するのだ。Twitterで反社会的な行為をわざわざアップする大学生(いわゆるバカッター)が良い例である。

 

②妥協できない(周りに合わせられない)

これは一言で言ってしまえば「自分勝手」という事である。例えば友達とメシを食いに行くというシチュエーションを考えよう。多くの場合では「これくらいの店なら値段的にもクオリティ的にも"無難"かなぁ」というラインを共有するという、ある種の「妥協」を行なっているはずだ。もう少し高い店で贅沢したくても、もし友達が「できるだけ安いところが良い!」と思うならば、「まぁこれくらいなら許容範囲かな」と思えるところまで"お互いに"歩み寄って折り合いをつける事がいわゆる"大人の対応"ではないのだろうか。

しかし精神年齢が低い人間は、「自分はここが良い!」の一点張りで全く動かない。リアルな話、そういう人間と一対一になると本ッッ当に苦労する!まさに岩のような頑固さである!その意志の固さは別の場面で活かしてほしいものである…。妥協できない人間と一緒にいると疲れる…。

 f:id:Skarugo0094:20170501004032j:image

③他人から注意されると"過剰に"自分を正当化したがる

これは端的に言えば「自分が一番正しいはずだ!」というとんでもない勘違いである。これが中々やっかいで、この考え方が強固になれば今度は「自分がこう思ってるんだから、相手もそう思ってるはずだ!」というタチの悪い方向へ進化するのだ。そういう人間に対して注意をすれば急にふてぶてしい態度になるのも大変イライラするポイントである。

これは②の自分勝手とも重なってくる部分である。そもそも「注意」というものはその行為が間違っているから正しくする為に行うものである。それを「注意=人格否定!」というとんでもなく飛躍した考えをするのもめちゃくちゃ厄介である。この③はタイトルにもある、精神年齢の低い人間が「成長」できない1番の理由であると私は感じている。なぜなら注意されても反省しないのだから。表向きには反省しているように見えても心の奥底には「何でそんなこと言われなきゃならないんだ!」という逆ギレに極めて近い感情が煮えくり返っているので結局は同じ事である。

 f:id:Skarugo0094:20170501004114j:image

それではこのような精神年齢の低い人間が周りにいる場合、最も簡単に解決する方法は何なのだろうか。答えは簡単。「関わらないこと」である。嫌な奴には関わらないのが一番!とはよく言われるが、こういう人間も例に漏れないだろう。結局、精神年齢の低い人間にとって「友達」なんぞ「自分にとって都合のいい駒」でしかないのだから、何も無理して駒を演じる必要はない。駒が少しでも思い通りに動かなければ盤をひっくり返してしまうような人間なのだから。

 f:id:Skarugo0094:20170501004157j:image

そんな人間と一体誰が仲良くしたいと思うのだろうか…

 

『ひぐらしのなく頃に』は自分にとってパラダイムとなる作品だった!

f:id:Skarugo0094:20170428235506j:image

こんにちは!シゲです!

ひぐらしのなく頃に』は今からおよそ10年前のアニメとなる事に衝撃を覚える今日この頃である。

放送当時にはさまざまな考察スレッドが立てられ一世を風靡したかのように思えた『ひぐらし』だが、今日では悲しい事に「ひぐらしはオワコン」と言う人も多い…。また、ストーリーにおいても「ミステリー」という皮を被りながら実際には「ファンタジー」色が強い作品だった事に憤りを隠せない人も多かった。

鬼隠し編の「正答率1%」というキャッチコピーに魅了され、純粋な「ミステリー」として考察していた者たちから大変、ひんしゅくを買った問題作という印象はどうしても拭いきれない…。

だが私は胸を張って「ひぐらしが好きである」と言いたい!というのも『ひぐらし』は自分が初めて見た深夜アニメだっただけに、強い思い入れがあるからだ。

 

私がひぐらしを見るきっかけとなったのはニコニコ動画である。ニコニコではひぐらし知名度は高く、しばしばコメントで「ひぐらし」というワードを見かけた。なので「ひぐらし」という名前自体は前から知っていたのだ。

そこで、どういう作品なのかを調べて行くうちに「可愛い女の子」が「グロテスクな事態に巻き込まれる」という大雑把な内容を見かけたのだ。私はそこに強い衝撃を受けた。その頃純粋だった私は「女の子」と「グロ」は全く相容れない要素であると思っていたからだ。この「両極端に存在する二要素」が混ざり合って、ある程度評価が高い作品として成り立っている事が、自分にとってはありえない話だったのだ…!

f:id:Skarugo0094:20170428235644j:image

それからというものの、私は『ひぐらし』がどんな作品なのか気になって仕方がなかった。自分の中でこれまで「深夜アニメ」を見るのには強い抵抗を感じていたのだが、『ひぐらし』という作品ははそれさえも凌駕して私を惹きつけたのだ。布団の中で家族にバレないように第1話を見た記憶が今でも鮮明に残っている!

 

ここまで長々と自分語りを書いてきたが、ここからは本編の魅力についてを見ていこう。この作品は一期と二期に分かれていて、それぞれ「出題編」「解答編」となっている。さらに、それぞれの編が「パラレルワールド」という扱いになっており、バラバラのストーリーが後半で繋がってくる、まるで"パズル"のような魅力がある作品だった。

一期の「出題編」ではミステリーテイストの強い「謎が謎を呼ぶ」展開だった。主に「オヤシロ様の祟り」を巡った悲劇が描かれる。ここで「解答編」につながる多くの伏線も散りばめられてゆく。二期の「解答編」では一期を踏まえた上で謎が解き明かされ、黒幕に立ち向かう熱いストーリーとなっている。ここで初めて「ループもの」というファンタジーの要素が色濃く現れてくる。こういった複雑な構成でストーリーが展開されていく。

 

第一期の魅力と言えば純粋なミステリー要素である。1話1話が謎に包まれており、飽きる事なく見れてしまう。そして何と言っても物語の「引き」が凄いのだ!毎回「え?もう終わり?」「続きがめっちゃ気になる!」という声を思わずあげてしまう程であるw次回予告の、少しもの悲しげな雰囲気も、「ひょんな事から日常が悲劇に変わってしまう」という『ひぐらし』らしさに拍車をかけていた。

 

そしてグロテスクなシーンも視聴者の目を釘付けにしてしまう。今まで部活などの、のほほんとした日常が描かれたいたのに、まるで地雷を踏んだかのように唐突な「ヤバい」描写が現れて我々をいい意味で驚かせるのだ…!この「日常」と「闇の部分」のメリハリが非常にうまく機能していた!

第一期はこうした「怖いもの見たさ」や「これからどんどんヤバくなっていくぞ…!」「オヤシロ様の祟りとは一体何なのだ!」という得体の知れない面白みがあったと感じている。第2話の「嘘だッ!」や目明し編の爪のシーンなど今でも脳裏に焼きつくインパクトがあった。

 f:id:Skarugo0094:20170428235755j:imagef:id:Skarugo0094:20170429000145j:image

第二期では一期から時期が開いたこともあり、作画が大変良くなった印象。(お世辞にも第一期の作画は良いとは言えない…)

だが、第二期の最大の特徴は上で述べた「ファンタジー要素」である。主なファンタジー要素としては羽入という幽霊の存在、未知の病の存在、そして「ループ設定」である。

特に「ループ」という設定は私にとっては衝撃で、大変感情移入のしやすいものであった!古手梨花の苦悩や、圭一の「運命を変える」という信念がひしひしと伝わり、熱い展開に拍車をかける。そして後に私が『シュタゲ』『まどマギ』といった「ループもの」の作品を見るきっかけになる要因であった!

また、主役の「前原圭一」が物語において重要なファクターとして展開されていく。圭一というキャラは大変私が気に入っている主人公である。いわゆる熱血系であり、視聴者をもグイグイと引っ張るようなカリスマ性を発揮するのだ。『ひぐらし』は舞台が田舎であり古い風習ばかりに囚われて物事が進まない状況に、圭一は一石を投じるのである。この作品の「運命は変えられる」というテーマを具現化した、そんなキャラクターであった!

f:id:Skarugo0094:20170429000346j:image

そして私が第二期で特に気に入っているのが「皆殺し編」と「祭囃し編」である。「ループ」が判明してから運命を変えるまでのプロセスをメインに展開されていく。キャラクター同士が団結し、山狗たちに立ち向かう話の運び方は、まるで熱血アニメのような熱さで大変楽しめた!「皆殺し編」では「もう少しで黒幕を倒せる!」というところで負けてしまうカタルシスが凄かった…(いつ見ても皆殺し編のラストは泣いてしまう)

祭囃し編」では「今度こそは負けない!」というキャラクター達の信念を大いに感じることができた!そして黒幕側である鷹野も鷹野で「負けられない!」という、信念と信念のぶつかり合いはもはやミステリーなんてものではなく、何度でも言うけれども熱血アニメである!

(羽入と鷹野が神社で宣戦布告するシーンはあまりにも有名な名シーンである)

 f:id:Skarugo0094:20170429000610j:image

総じて、ひぐらし』は第一期と第二期では「違った楽しみ方がある」作品であった。一言で言えば第一期はミステリー、第二期は熱血系ファンタジーである。純粋なミステリー一本で期待していた人からすればたまったもんじゃない作品になるかもしれないw

だが私は「ミステリーだろうがファンタジーだろうが面白ければそれで良い!」という考えだったため、細かい粗は全く気にせず作品を楽しむ事が出来たのである。割り切って見れるかどうかが、このアニメを見る際には重要だと感じている。

 

ひぐらしのなく頃に』はお世辞にも「完璧な構成」とは言えない作品だが(作者の竜騎士07氏は広げた風呂敷をうまくまとめるのが苦手だとはよく言われていたりする…)それでも私は「ひぐらしが好きである」と言いたいのだ!確かに粗はあるし好き嫌いが分かれるアニメだけど、良いところはこんなにもあるんだよ!ということを今回は伝えたかったのだw

ひぐらし』を見たから私は深夜アニメを見るようになり、「ループもの」のアニメを好むようにもなった。私にとって『ひぐらし』はナンバーワンの作品ではなくとも、大きな影響を与えた"パラダイム"なのである!

f:id:Skarugo0094:20170429000752j:image

『アクセルワールド』と『ソードアート・オンライン』はどこで差が生まれたのか

f:id:Skarugo0094:20170409220433p:image

こんにちは!シゲです(╹◡╹)

ソードアート・オンライン』の劇場版が公開されてだいぶ経ちましたね!mステでもLiSAさんが主題歌を歌っていたのが印象的でした!皆さんはもう見に行きましたか?!私は結局見に行かずじまいでしたが…

今回は川原礫氏の代表作、『ソードアート・オンライン』(以下、SAO)と『アクセルワールド』を比較していきたいと思います!

 

まずは両者の共通点から見てみよう。設定としてまず挙げられるのは「仮想世界」の存在である。「異世界転生もの」では使い古された舞台だが両者は「ゲーム」という媒体を通した世界である、という事が他の作品とは一線を引いている部分である。この「ゲーム」設定は創作においてかなり融通が利くものだと思っている。

同じ「異世界転生もの」の中には「現実と異世界とのギャップ」が不自然に映る作品が多いと感じている。(転生前はニートなのに強いなど…)

そこで「ゲームの世界」は、この「現実と異世界とのギャップ」に感じる違和感を完全に解消できる1つの要素であると私は考える。

両作品の主人公は「生粋のゲーマー」である。なのである程度、「ゲームの世界」へ移動してもその強さには説得力があるように感じる。

最近放送していた『幼女戦記』は異世界転生ものの中でも「主人公は管理職のサラリーマン」という設定があるため、転生後のあの戦略家っぷりには十分頷けると言えるだろう。

このように、「主人公の強さに十分な理由づけがされている」という事が異世界転生ものでは重要なのではないか、と考える。その理由づけに「ゲームの世界」というものは非常に便利だったのだ。

f:id:Skarugo0094:20170409223643p:image f:id:Skarugo0094:20170409223623p:image

そして、「仮想世界」だけでなく「現実世界」と並行してストーリーが進んでいくのも両作品の特徴である。『SAO』における直葉とアスナを巡った問題、『アクセルワールド』の友達同士のすれ違いや能美の陰謀など。こうした「仮想世界」と「現実世界」を頻繁に切り替えてストーリーを展開できるのも、ゲームの「ログイン」「ログアウト」という手軽さを上手く使った結果と言えるだろう。

 

ここまでが『SAO』と『アクセルワールド』の共通点である。それでは次に、両作品の相違点を比べてみよう。

まずは主人公の特徴。

f:id:Skarugo0094:20170409220624p:image

『SAO』のキリト

・「イケメン」とは名言されていないが、中性的で整った顔立ち

・「βテスター」なので最初から活躍できるほどの強さ

f:id:Skarugo0094:20170409221013j:image

対する『アクセルワールド』のハルユキは

・太っていていじめられっ子

・ゲーマーではあるものの、序盤から苦戦が目立つ

という風に真逆の性質を持つ主人公である。

主人公の性質が違えば当然、ストーリーの運びも異なってくる。

『SAO』

・基本的には「主人公最強系」のストーリー

アインクラッド編、GGO編、マザーズロザリオ編のユウキように、「死」と隣り合わせで緊迫した話が多い

・ヒロインを掘り下げる話が多い

 

アクセルワールド

・いじめられっ子が這い上がる「成長もの」のストーリー

・友達とのすれ違いやいじめなどの、人間関係のいざこざが目立った作風で、ドロドロとした雰囲気を感じる

・話の大筋をメインで描いているので、ヒロインを掘り下げる話は『SAO』ほど多くない。

 

ここまで比較していると世界観自体は共通で似た設定ではあるものの、話の方向性としては全く逆である事が分かってくる。

 

 では何故『SAO』の方が人気が出たのだろうか。それは勿論、『SAO』のストーリーの方がウケが良かったからだろう。

「主人公最強系」は苦戦する展開が少ないのでストレスなく見れる上、「修行」や「挫折」といった部分も必然的に少なくなるので話のテンポも良くなる。

また『SAO』はただの「主人公最強系」ではなく月夜の黒猫団でのサチの死や、GGO編で語られた「ラフコフの一員を殺した罪悪感」などの主人公が苦悩する場面もしっかりと描かれていた点も評価できるだろう。

 

また、アスナだけでなく直葉やリズのように、他のヒロイン達との絡みなど「切ない恋愛要素」が散見されたのもキャラを掘り下げる上で重要だったと感じている。

そして上でも述べた「死と隣り合わせ」な展開は「ゲーム」という自由の利く要素を扱いながらも、常に緊迫したシーンを描く事を同時に達成した"上手い"作品であった。まさに「これは、ゲームであっても遊びでない」というキャッチコピーを体現したアニメだと言える。

 f:id:Skarugo0094:20170409221536j:imagef:id:Skarugo0094:20170409223730j:image

対する『アクセルワールド』は一言で言えば「成長もの」である。成長ものの作品は古くからの王道展開ではあるが、深夜アニメでは良くても2クール、ほとんどは1クールという制約がある。それも相まって「成長もの」という尺を多くとるような作品は最近の深夜アニメでは作りづらいジャンルなのかもしれない。

また「いじめ」という 心に刺さるようなテーマを扱っているため、見るのにかなり精神を消耗していまう作品だったなと思う。アニメだろうがいじめのシーンは見るのが辛い!という人も当然多かっただろう。

つまり、"気軽に見れるアニメ"とは到底言えないような作風であった。これも『アクセルワールド』が『SAO』と比べてウケなかった理由の1つであると考える。

 

「成長もの」の作品のデメリットが浮き彫りになったアニメだった。最終的には能美を倒してスカッとジャパン状態でハッピーエンドなのだが正直、能美を倒すまでの道のりが長すぎた感が否めなかった。

ハッピーエンドに至るまでがあまりにハードな展開すぎて見るのがしんどい上、しかもそのハードな展開をかなり引き伸ばしてきたのだ。その分、倒した後のスカッと感が半端なかったのだがそれにしても引っ張りすぎな印象だった。

f:id:Skarugo0094:20170409221930j:image

 ここまで批判ばかり書いてきたが、何も悪い部分ばかりの作品ではない。

実のところ、私は『SAO』よりも『アクセルワールド』の方がお気に入りである。『SAO』以降、主人公最強系アニメが多くなってある種の「マンネリ」を感じていたため、純粋な「成長もの」アニメを見てかなり楽しむことができたのも事実である!

心意システム、スカイレイカーやアッシュローラーとの絡みなど「成長もの」の必須条件である「挫折から立ち上がる」描写もしっかりと描かれていたのでそこは個人的に好感が持てる部分である。アッシュさんがいい人すぎて泣いてしまったのも記憶に新しい!

また、「加速世界」という設定も「限界を越える」という本作品のメッセージを提示する上でかなり重要な役割であったと思う。「もっと先へ、加速してみたくはないか?少年」という黒雪姫のセリフはまさにこの物語がどういうものなのかを表している。

f:id:Skarugo0094:20170409222302j:image

総じて、いいアニメなのだがやはり「成長もの」のマイナスな要素も見え隠れしていたなと感じる作品だった。

『SAO』と『アクセルワールド』世界観は同じで話の方向性が真逆な2作品は、やはり"作品の見やすさ"が差を生み出したのではないかと考える。一般受けするのが『SAO』だとしたら『アクセルワールド』はややコアなファン向けと言うべきなのか…。

 

「主人公最強系アニメ」は『SAO』以降、『魔法科高校の劣等生』『オーバーロード』『ワンパンマン』と数々のヒット作に共通するジャンルへとなった。やはり時代は今、「主人公最強系」に落ち着くのかもしれない。

アニメまで「即戦力」が求められる時代になったという事なのだろうか…。

 

『Angel Beats!』の仲村ゆりはいかに完璧な去り方をしたか

f:id:Skarugo0094:20170403230346p:image

こんにちは!シゲです(^^)

今日何気なく、ずっと前に録画していたAngel Beats!の12話と最終回を観ていたら「仲村ゆり」というキャラが本作品においてどれほど重要な人物であったのかを改めて知らされた…!

今回は麻枝准の名作、『Angel Beats!』について、特にゆりっぺこと「仲村ゆり」というキャラを掘り下げて語りたいと思います!

 f:id:Skarugo0094:20170403231102j:image

まずはこのAngel Beats!がkey関連作品の中でどういった位置づけだったのかを見ていく。私自身、この作品は歴代keyアニメの中でも「新しい進化を遂げたkey」という言葉がしっくり来ると思っている。というのも、Angel Beats!以前と以後ではkey作品のカラーが変わってきたという印象を抱いたからだ。

 

これまでの『kanon』『AIR』『CLANNAD』はゲーム自体の古さもあり、良くも悪くも90年代アニメのようなキャラデザであった。そしてテーマもそれぞれ冬、夏、春を表していて季節感が全面的に出ている作品だった。

f:id:Skarugo0094:20170403231312j:imagef:id:Skarugo0094:20170403231342j:image

ゲームの発売時系列ではこの後に『リトルバスターズ!』が来る。キャラデザに大きな転換が見られるのはリトルバスターズからである。が、基本的には1キャラ1ルートの『個別ルート型ドラマ』というスタンスは守られてきた。

 f:id:Skarugo0094:20170403231535j:image

Angel Beats!ではどうだろうか。キャラデザ面でも今風(と言ってももう7年前の作品だが…時が経つのが早すぎて驚く!)で、キャラクター自体の数も多く、第1話の時点で強烈なパンチを浴びせられたようなインパクトを感じた!

また、今までの『個別ルート型ドラマ』も一部使われているが尺の関係上メインキャラクターのみ掘り下げる形となっていて、後は「この世界と神の存在」を巡るという話の本筋を描いていくスタイルであった。

 そして『ガルデモ』のバンド要素など、当時けいおんが流行っていた事もあり、流行の要素を取り入れた部分も見られる。この音楽要素は後に『charlotte』にも引き継がれてゆく。

 

設定もこれまでのkey作品では「キャラクターが劇中で死ぬ」描写を使って視聴者を泣かせる演出が多様されていたが、今回ではなんと「死後の世界」。最初からキャラクターが全員死んでいるというスタートである!麻枝准自身もこれまでの「死」というテーマの陳腐化に悩んだ結果、「最初から死んでいる」という設定に行き着いたという。

 

key作品の中でも新しい挑戦をしたAngel Beats!だったが、これまでのkey作品で恒例だった『野球要素』や、リトルバスターズで見せた『キャラクター消滅のカタルシス』については色濃く型を残していると思う。

つまり新要素に足を踏み入れながらも、過去のkey作品をオマージュした伝統的な部分を取り入れた「ハイブリッドな作品」だったと感じている!(それ故に色々取り入れすぎて消化不足になった所も無視できないが…)

f:id:Skarugo0094:20170403231854j:image

 

長々と前置きを書いてきたが、本題に入ろうw

私はタイトルで「仲村ゆり」の去り際が完璧だったと述べた。「メインヒロインなのにあっけなく消えたのが納得いかない!」という意見が多数であると思う(そういう気持ちももちろん分かる!)が、あえて私は「完璧」であると宣言したい!

 

この作品が提示したテーマは「自分の人生は何ものにも変えられない」というものであった。そのテーマを描く上で最も重要な人物が「仲村ゆり」だったと思っている。

特に12話では彼女の心の葛藤が端的に描かれている。影に取り憑かれそうになった時に、楽しげな教室のシーンでゆりっぺが生前に味わうことができなかった、煌びやかな学校生活をまじまじと見せつけられる。

 

ここでゆりっぺは、「たとえ生まれ変わったとしてもそれは別人の人生であって、自分の人生なんかじゃない」という心の叫びをあげる。「辛かった人生」を自分の人生として受け入れなければならないという葛藤を表しているシーンだった。

 f:id:Skarugo0094:20170403233233j:image

その後の第2コンピュータ室で、何やら不穏な雰囲気を醸し出す青年と対峙する展開も胸が熱くなる…愛していた兄弟をたった10分で奪われたゆりっぺが「人間というものは、たったの10分だって我慢してくれないものなのよ」と言いながらマシンガンをコンピュータにぶっ放すシーンは見ていて爽快だった!

f:id:Skarugo0094:20170403232116j:image

そして12話ラストの「私を突き動かしていたものが消えていく」というセリフは彼女自身の葛藤が消えて、自分の人生を受け入れた瞬間だった。ここでゆりっぺの兄弟が出てきて「お姉ちゃんありがとう!」「もうお姉ちゃんだけ苦しまなくていいんだよ!」というシーンは何回観ても涙腺崩壊してしまう!

 f:id:Skarugo0094:20170403232805j:image

このシーンのバックでBrave Songが流れるのが何ともズルい…!この曲自体、ゆりっぺの心の葛藤を表しているから、尚更ズルいのだ!

「いつかみんなと過ごした日々も忘れてどこかで生きてるよ その時はもう強くなんかないよ
普通の女の子の弱さで涙を零すよ」という大サビをエンディングに持ってくるなんて、どこまでズルいんだ!

歌詞に「普通の女の子」とある。彼女はこの瞬間に「死んだ世界戦線のリーダー」から「普通の女の子」に戻ったのだ。これまでリーダーの体裁を保つためか涙を流すことはなかったゆりっぺだが、ここで初めて涙を流すのもまた感慨深い!

 f:id:Skarugo0094:20170403233249j:image

では肝心の最終回、彼女はどのような去り方をしたのか。一人一人音無と言葉を交わした後に消えてゆく(カットが切り替わった瞬間に消える演出は本当にいい!)。

直井→ゆりっぺ→日向→奏の順で消滅するが、つまりゆりっぺはその辺の(と言ったら語弊があるが)男キャラと同様の扱いで、特に主人公に特別な感情を抱いているわけでもない、1キャラクターとして処理されたのだ。

しかし私はこれで良かったと思っている。音無はゆりっぺに「リーダーっぽくなくなったな!」というセリフを発していた。つまり彼女はもう「普通の女の子」。なので去り際も「普通」で逆に良かったのではないかと私自身感じている。

呆気なく感じる人ももちろんいるだろう。しかしそれも含めて私は「ゆりっぺの去り際」において必要な要素だったと思っている

 f:id:Skarugo0094:20170403233314j:image

Angel Beats!、作品としての粗は無いわけではない(例えばキャラが多すぎて掘り下げが甘かった所、エンジェルプレイヤーの唐突な説明など)また、1クールという制約も尺の関係上やはりキツかったなと感じる。本当に「惜しい!」「もうひと声!」と言いたくなる作品だった。しかし私はこの「仲村ゆり」というキャラを通じて、この作品の「人生」というテーマをひしひしと感じさせられたのだ!

 

有名な10話の日向とゆいの関係性も良かったが、個人的にラスト2話で描かれた「ゆりっぺの人生観と葛藤」が一番この作品で気に入っている部分だ!

ありがとう、Angel Beats!

f:id:Skarugo0094:20170403233517j:image

『風夏』を原作未読の視点から見た時の感想

f:id:Skarugo0094:20170328215630p:image

こんにちは!シゲです!そろそろ今期の冬アニメもどんどん最終回を迎えていきますね!今期は、けものフレンズを筆頭にガヴリールドロップアウトリトルウィッチアカデミア幼女戦記と個性派揃いの楽しいシーズンでしたね!

 

今回は原作でヒロインが死ぬ事で一躍有名になった『風夏』についてを原作未読の私から見てどういう風に映ったかを語っていきたいと思います!

 f:id:Skarugo0094:20170328215724j:image

まずは私が何故『風夏』を視聴しようと思った経緯について。キービジュアルを見た時の率直な感想は「キャラはかわいいけどこういうアニメに限って地雷かもしれない…」であった。

なので最初は正直あまり進んで見る気はしなかった。何の気なしに第1話をツイッターの実況を見ながら視聴していたら、ふと「ネタバレ」という単語が目に止まった。「このアニメにそんな重大なネタバレがあるのか?」と思い、軽い気持ちで検索してみた結果、「ヒロインが死ぬ」とかいう超ド級パワーワードが炸裂し、「これはある意味期待できそうだな!」と思ったのが始まりであった。  

 

設定については恋愛ものかつバンドものであり、流行りを取り入れた要素が散見された。ストーリーの流れについても「主人公の幼馴染と恋敵」「主人公が鈍感すぎる」など、恋愛ものでは使い古された設定で特に目立った目新しさはなかったのだが、ひたすら「死ぬまで我慢」と思いながら見ていた。(この言い方はちょっと不謹慎が過ぎるけどw)

 

しかし物語中盤の炎上騒動あたりからどうしても1つの違和感がちらついた。それは「どのキャラクターも行動が軽率すぎる」という点であった。この作品の大きな特徴として「Twitter」の存在がある。「炎上」というものはSNSが普及している現在ではごく、簡単に起こり得るものであるという事が端的に伝わる内容で、現実とリンクした「情報が拡散される恐ろしさ」を、Twitterという今の我々には身近なものを使って視聴者に大いに感じさせる展開であったのだが…

 f:id:Skarugo0094:20170328215902j:imagef:id:Skarugo0094:20170328220002j:image

アイドルである氷無小雪は極力スキャンダラスな行動は避けるべきだっただろうとか、ビルの大型モニター越しに「好きな人への想いを胸に歌詞を書いてます」とか、現実なら一瞬で干されてもおかしくないような事を平気でやらかすのがどうも気になった。その後優くんも懲りずに小雪に近づこうとするのも、「また炎上するかもしれないだろう!」と思いながら見てしまった。

 

その炎上騒動の火消しの方法もまた釈然としなかった。文化祭で優くんにビンを当てる気満々だった男達が演奏を聴いた後に手のひらクルックルでみんな何事も無かったかのように炎上がおさまるのも正直ウーン…と思った。

、とここまでが中盤までの感想。

 f:id:Skarugo0094:20170328220100j:image

そして物語後半ではバンドの危機、そして小雪風夏の三角関係が描かれるようになる。

まず語らずにいられないのが10話「運命」である。サブタイトルの時点で死亡フラグビンビンなのだが、まさかの死亡回避!

記事タイトルにもある通り、私は原作未読者である。なのであまり偉そうには言えないのだが、おそらくは「風夏の死は後に色々なキャラクターの心情に変化をもたらし、それが成長につながって行くという展開になるんだろうな〜」と思って楽しみにここまで視聴していたので、正直風夏が死亡回避した瞬間期待を裏切られた感じがどうしてもぬぐい切れなかった。

f:id:Skarugo0094:20170328220244j:image

(もちろん、「生きてて嬉しかった!」という人も沢山いるかもしれないから、そういった意見は否定するつもりはない。ただ、個人的には死んだ後どうやって展開されるのかをすごく楽しみにしていたので、こういう意見もあるんだよ的な感じで読んでくれたら嬉しいですm(_ _)m)

 

だが問題は死ななかった事以上に「その後の収拾のつけかた」が不味かったと思っている。トラックを回避した時に壊れたアルパカのキーホルダーのカット、あのシーンは「風夏が優くんに対する気持ちに踏ん切りをつけた」明確な描写だと思っていたのだが、最終回でやっぱ好きでした!っていうのはちょっと心ブレブレすぎないかと思った。

f:id:Skarugo0094:20170328220254j:image

そして「ソロデビューをしたい」発言。自分で始めたバンドなのに真っ先に抜けるとはこれ如何にと思ったがそれ以上に、「一度スカウトされて断ってるのにどのツラ下げてソロデビューするんだろう」と思ってしまった。

さらに優くんの説得で一度バラバラになりかけたバンドメンバーを再結成する展開も、ラスト2話で収拾させるのは流石に無理がありすぎたなという印象。

 

最終回で小雪ちゃんの「自分の気持ちに正直になればいい」という発言が物語のテーマだったのだろうなというのは感じるのだが、どうしても話しの運び方がご都合主義すぎるなーと感じてしまった。

めちゃくちゃザックリ言うとどのキャラクターも「前はこう言ったけどやっぱそれ無しで!」という風にしか見えなかった。

 そして結局全員バンドデビューして万々歳っていうのもうーん…

f:id:Skarugo0094:20170328221121j:image

総じて、この作品は「風夏が死なないように頑張って作ってみたけど、逆に収拾つけるのが難しくなった」という印象。死亡ルートではやはり1クールという制約は厳しすぎたのだろうか。

ある意味、1クール縛りの被害者とも言える作品だったのかもしれない… 

f:id:Skarugo0094:20170328221131j:image

 

「おもしろ経済数学」というタイトル詐欺について

f:id:Skarugo0094:20170225190556j:image

こんにちは、シゲです!

回は前回の『武隈ミクロ』と打って変わって初学者向けの参考書「おもしろ経済数学(ミネルヴァ書房)」をレビューします!

 

前回の『武隈ミクロ』では「書いてある内容はおそらく網羅的であり、ある程度ミクロ経済の基礎が出来ている人にとってはバランスの良い参考書であったが、反面自分のレベルがそこまでに到達していなければ読破することすら困難」という結論に至った。

 

そして今回の『おもしろ経済数学』はタイトルから察する通り初学者向けの参考書である。本の帯には『「数学が苦手だから文系にきたのに、どうしてこんなハメに…」と経済数学にお嘆きのアナタを救う、よく分かるテキスト』とまさに数学が苦手だから文系に来た私のニーズに応えてくれそうなキャッチコピーが書かれていた!

 

それでは内容の方を見てみよう。おもしろ経済数学というタイトルだが中身はほぼミクロ経済。なのでミクロ経済の初学者ならこの本はオススメと言えるかもしれない。流石初学者向けの本と言うべきか。

文章自体は平易で難なく理解する事ができる。経済に全く触れたことのない人でもある程度想像できるような具体例を使って説明がなされている点は評価できる。

 

入門書の落とし穴

しかし、肝心の数学についての説明は「マジか」と思わず声を出してしまうくらい適当。章ごとのちょっとしたコラム程度の量しか説明がなされていなかった。文系の数学の出来なさを考慮すれば、もっと計算の手順を詳しく記述すべきであった。

 

微分積分、行列などの理論自体は比較的簡単に説明のしているのだが、それとは不釣り合いな難易度の練習問題だったため解くのが困難。最初の一問を解くのが関の山で、応用問題が全く解けなかった。

しかも解答は答えだけ羅列しているものが目立ち、「本当に数学が苦手な人に配慮してるのか」と思えるほど手抜き感が拭い切れないという、まさかの事態に陥ったのだ。

 

この手の初学者向けの本にありがちな、「理論だけ懇切丁寧に解説し、肝心の『問題の解き方』の説明が雑」という落とし穴に見事にはまってしまった感じが否めなかった。

 

総じて、「読み物」として読むならまあまあの分かりやすさと面白さではあるが、「参考書」として読んだ場合、非常に物足りなさを感じる本であった。おそらくこの本だけでは学部レベルのミクロ経済も、経済数学も合格点を取ることは難しいだろう。

俺が求めてるのはそういうんじゃないんだよ!!と言いたくなるw

 

それでも本自体は薄くて読破はそれほど困難ではないので、これからミクロ経済の勉強をしよう!という人が予習でサラッと読むのにはまぁまぁ適しているのかな、という印象です。