ロリポップ・アンド・バレット

アニメ・映画・特撮・読書の感想や考察を書いたり書かなかったりする

ブログ名変更のお知らせ

諸々の事情により、本日よりブログ名を「ロリポップ・アンド・バレット」へ変更する事となりました。

 

変更点はブログタイトルのみで、その他これから書く予定の記事の内容や方針については一切の変更はございません。

 

タイトルの由来は桜庭一樹の小説『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』の英題「A Lollypop or A Bullet」です。即ち「"砂糖菓子の弾丸"か、"実弾"か」を意味します。

 

本作において、「砂糖菓子の弾丸」とは「現実に目を向けず、自分の世界に価値観を見出す事の脆さ」を喩える象徴的な概念です。

その意味では、「現実世界で生き抜く為に、生存戦略として必要な技能を身につける生き方」、即ち「実弾」とは対象的な概念として描かれています。

 

現実に立ちはだかるものを貫く事を可能とする「実弾」を持とうとする少女と、「砂糖菓子の弾丸」=空想の世界への逃避によって自分の精神を辛うじて繋ぎ止める少女の物語ですが、ここに私は「役に立つものと、そうでないものの二極化で物事を評価する」という昨今話題となる論点を想起せざるを得ませんでした。

 

古文不要論や文学部不要論など、とりわけ人文学系の学問がこの論点においてよく取り沙汰されますが、アニメ・映画・その他の所謂ポップカルチャーに対してどう向き合い、どう味わうかを考える上で、上記で挙げたような「不要論」の問題は決して他人事ではないのかなと思う訳です。

 

何故なら「我々が良き作品と出会い感じた事をアレコレと悩みながら言葉にして語る」という営みと、受験科目としての古文、あるいは学問としての文学との関係は決して無関係ではないどころか、根底の部分が似通っていると感じる為です。

 

良きコンテンツを摂取した時、言葉を通じて自分の感情に輪郭を与えるという営みは、確かに一見するとそれそのものが何かに役に立つものとは思えないでしょう。それでも私自身、振り返ってみればフィクションと向き合うことによって救われてきた事を日々実感しており、フィクションの持つ力というのは、役に立つとか立たないとか、そういう次元ではないところでこそ、発揮されるものだと思っています。

 

だからこそ私は「砂糖菓子の弾丸か、実弾か」のどちらか一方を選ぶ"or"ではなく、その両方こそが今の私にとって不可欠だからこそ、本ブログのタイトルを「ロリポップアンド・バレット」としました。

 

引き続き今後とも、宜しくお願いいたします。