ロリポップ・アンド・バレット

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『宇宙よりも遠い場所』前半の雑感と、「淀み」のテーマ

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今期アニメが全て出揃い、多くの作品で方向性が定まってきた頃だろう。ポプテピピックという特異点をはじめとし、京アニの『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』、triggerとA-1の合作『ダーリンインザフランキス』、タカラトミーの本気『シンカリオン 』など、それぞれ独自のテイストが光る豪華なシーズンとなった2018年冬アニメ。そんな中で『ノーゲーム・ノーライフ』スタッフが制作するオリジナルアニメが始まった。その名も『宇宙よりも遠い場所』(以下『よりもい』)。『中二病』『シュタゲ』『ラブライブ』でおなじみの花田十輝氏がシリーズ構成を務める。

 

「女子高生4人が、南極を目指して奔走する青春ストーリー」もうこの時点で"その手"のアニメが好きな人にはたまらない。言ってしまえば女の子同士の掛け合いは同じく花田氏が脚本に加わった『けいおん!』『ラブライブ!』シリーズでやってきた事だし、特に大きな目新しさというものがあった訳ではない、というのが第一印象だった。キマリは唯ちゃんポジションだし、主人公を影で支えるめぐみはのどかの位置付けとなる。そして報瀬の一見クールに見えて実はちょっとドジな一面も澪のそれを彷彿させる。だからといって「けいおんの二番煎じ」とは決してならないのが実に面白いポイントだ。

「ガール・ミーツ・ガール」で「探索もの」という基本プロットで、青春作品とアドベンチャーのいいとこ取りをしているのが本作だ。

 ゴールとしては「南極に辿り着くこと」なのだが実際に舵を切り始めたのは5話からであり、1クールのうち実に半分が「出発準備編」に割かれている。あの『メイドインアビス』ですら出発まで長くとも3話だったのが、『よりもい』ではなんと5話だ。1クール作品の「探索もの」としては比較的ゆっくりとしたペースで話が進んでいく。

 

だが決して「間延びしている」とは感じない。何か思い出を作りたいと願うキマリと、行方不明の母の手がかりを探すべく南極に行こうとする報瀬。有名人故に高校で友達と遊ぶ機会に恵まれず、常に孤独感に苦しむ結月。学校を辞めた過去を持つも多くを語らない、どこか達観した視点を持つ日向。4人の出会いと、垣間見える「心の闇」。彼女たちが掛け合っているだけで次々と新たな発見があり、見ていて飽きない。 

例えば第3話で南極チャレンジに参加するため、3人が結月に説得を試みようとするシーンでは、報瀬が自分の「行きたい」という気持ちを優先させすぎてつい周りが見えなくなってしまい自己嫌悪に陥る。自分が行きたいと思っており、その目標を達成する為に結月を説得しようという考えだったが、日向から「相手にも行きたくない理由があるんじゃないの?まずはそれを聞いてみないと」と諭される。

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結月は幼少期から子役で友達に恵まれず、友達を作るチャンスとなる高校生活を犠牲にしてまで南極には行きたくないという思いがある。結月は説得に来た報瀬たちに「友達のできなかった自分の気持ちが分かるはずがない」と言う。「自分にとっての当たり前が、他の人にとって当たり前とは限らない」こと、そして異なる「当たり前」を持つ者同士の掛け合いが絶妙に味わい深いのだ。そして3話ラスト、キマリ達が結月を迎えに来るシーンがもう最高に泣けてしまう。キマリ達は当たり前のように結月の家に来るのだが、結月にとって「誰かが自分の家に迎えに来てくれる」なんて事は滅多になかったわけで。友達がいるのが「普通」だったキマリ側と、逆に有名人であることが「普通」で友達がいることが「普通じゃなかった」結月、それぞれの「噛み合わなさ」が話にテンポを生み出し、このような面白い化学反応を起こしてしまう。

 

しかも、どのキャラクターの心情も本当に「現実」のそれと非常に近いのだ。まず第1話、よくある「退屈な毎日なら、反対の電車に乗れば良い」をキマリは実践しようとするも、一瞬で諦めてしまう。冒険もののストーリーで早速挫折を描いてしまえるこの"大胆さ"も勿論良いのだが、「何かを始めようとすると、どうしても直前で怖くなる」ことは誰にでも経験があるのではないだろうか。「皆、こんな気持ちになった事があるだろう?」と視聴者に投げかけて、否が応でも感情移入"させられる"のだ。上述した結月の「友達ができない」悩みも、我々の心にダイレクトに伝わってしまう。つまり登場人物の悩み事そのものがリアルと地続きな上、その描き方がまたリアルなのでより一層我々の心を揺さぶりにかかる。さらに、その「リアルと地続きの悩み」が全て、話を進める為の"ギミック"として非常に上手く使われているので感情移入しつつも全く「嫌な感じ」はなく、むしろ見る者の心を浄化させる気持ち良さを感じる。

 

 

そうした登場人物の持つ「心の闇」へ一気にクローズアップしたのが第5話「Dear my friend」だった。キマリの幼馴染・めぐみは常にキマリの世話を焼いて優越感に浸っており、そうする事で自分のアイデンティティを確立していた、と少し複雑な共依存関係が明かされる。キマリがめぐみに借りていたゲームをひさびさに発見してめぐみの家でプレイするのだが、ここでの2人の掛け合いがただ、"怖い"のだ。

プレイしていたゲームは幼い頃、唯一キマリがめぐみに勝てたゲームで、キマリにとっては特に思い入れの深いもの。その事を嬉々として話しながらプレイするキマリと、ゲームのコンセントを見つめるめぐみ。不穏な空気が流れる。そしてゲームも盛り上がってきたタイミングでわざとらしく足を引っ掛けてコンセントを抜いてしまう。もうこの時点でうわぁぁあ!ですよ。キマリはめぐみにとって優越感に浸る為に必要な「依存先」なんですよね。恐ろしい。要は世話を焼きながら常に心の奥底でマウンティングしていた訳ですよ。「キマリは自分より下であってほしい」「私が居なければ何もできない」そう思いたかったんですよね。だからこそ、「キマリに唯一負けた」ゲームのことに触れられたくなかったのだ。それは「キマリよりも上の自分」を否定してしまう事だからだ。

 

 

このマウンティング精神、ツイッターで感想を見る限りだと「共感できた!」「誰にでもこういう思いはある」という意見が多く、自分は非常に驚いた。確かに「自分の方が上でありたい」という心理や「世話をしていた人が自分から離れる哀しさ」の理屈自体は理解できる。

だが自分自身人にマウントを取る行為を好かないので、正直に言えばめぐみには感情移入できなかったのだ。それでも、マウンティング癖のある人はなるほどこういう心理なのかという勉強になったし、マウント取る側も取る側で色々な感情がこんがらがった結果そうなってしまったのか、と「自分の理解できなかったこと」をキャラクターを通して教えてくれる。上で「自分にとっての普通が他人にとっては普通でない」ことについて触れたが、まさに自分のような「マウンティングする人の精神が理解できない」人にも、「マウンティングで自分を支えているのが"普通"」になっている人の心理を、できる限りリアルさを損なわない範囲で再現してくれる。そうして「理解できない普通」を「理解できるように」してくれる。まさに「人間学」とも言えるアニメなのだ。

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そして第5話ラスト、いよいよキマリが出発する朝にめぐみが迎えに来る。そして開口一番に「絶交しにきた」。もう開いた口が塞がらない。めちゃくちゃ不穏な空気が続いていたが、ここに来てついに爆発してしまう。ただひたすら「うわぁぁあ!」と変な声を上げてしまう。

 キマリが今まさに自分から離れて「自立」しようという時に、ようやく「依存していたのは自分だった」と気づくめぐみ。悩みに悩み抜いてようやく出した彼女の結論が「絶交」だったのだ。

 

この「絶交」以上に深いセリフはあるだろうか。めぐみにとって、キマリから離れる選択肢はとても苦しい。キマリの居ない世界に飛び立つことは、それこそキマリ達の目指している"遠い場所"のそれと同じくらい果てしない道かもしれない。頼るもののない世界に飛び立つのは何も南極メンバーだけではないのだ。残された者もまた、残された者なりの"遠い場所"を目指す時が来る。全てを告白しためぐみ、そして一瞬だけ挟まれる淀みのない川のカット。そう、めぐみは全ての"闇"を吐き出せたのだ。

 

 「淀みの中で蓄えた力が爆発して、全てが動き出す」これはどんな"心の闇"でさえも、自分を変える力になるという『よりもい』の作品テーマを表した言葉である。めぐみの中の「淀み」は見事に決壊し、全てを吐き出し、ようやくめぐみは"前へ進めた"のだ。そしてキマリが「絶交無効」と囁く。キマリがめぐみのどんな悪意も、闇も、嫌な部分も全て受け入れた上で「親友」として認めた。悪意も何もかも全て蓄えて力にできる。だからこそ「絶交しない」という選択ができたのだろう。そしてこの「悪意を受け入れる」は、境内での日向の「悪意に悪意で立ち向かうな」というセリフと綺麗に繋がっているのだ。彼女の過去も後に明らかになるだろう。そうした「悪意を力にする」テーマを大々的に宣言したのが5話だったと思えてならない。今後とも、「淀んだ水が一気に流れていく」展開に目が離せない。