ロリポップ・アンド・バレット

アニメ・映画・特撮・読書の感想や考察を書いたり書かなかったりする

「自分らしい文章を書くこと」の難しさについて

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自分は普段、twitterでアニメ・特撮の感想を気ままにつぶやくことで「アウトプット」をしている。twitterは「思いついたことを一言だけつぶやく」という性質上、感想や雑感を書く際の”フットワークの軽さ”が利点である。その証拠に、私は(というかほとんどの人は)ブログの更新頻度よりもtwitterの呟き頻度の方が高い。対するブログは、twitterと違って「自分の考えをまとまった形で保存する」側面が強い。気軽に思いを吐露できるtwitterが「情報をまとめる場」としては向かない反面、ブログは「しっかりと自分の意見を残す」点で、「情報としての強度」が強いように思える。

 

自分もブログを開設した一番の理由は「誰かに自分の考えを知ってほしい」ことだった。「一過性の強いtwitter」よりも、「強度のある」ブログの方が”それ”を実現しやすいと考えたからだ。しかし、実際にブログを始めてみると想像以上に「書きづらい感覚」があったのを覚えている。自分はある特撮・映画ブロガーさんに憧れて、半ば真似する形でアニメの感想記事を始めたのだけど、最初はその方のように数千字単位の文章なんて全然書けなかったし、1000字書くのにも2、3時間とかザラでした。

 

先日、フォロイーの方が主立って立ち上げた「アニメ感想クラスタへのインタビュー企画」(アウトライターズ・スタジオ・インタビュー)に参加させていただきました。自分がインタビューに答える前段階として、やはり「先例」を知ることは大事だと思ったので、過去にインタビューに参加していた色々な方の回答をチェックしました。その中でも特に「自分らしい感想・文章を書くことを意識しています」と回答する方が多く、自分はとても驚いたと同時に、すごく尊敬しました。

「自分らしい文章を書くこと」って、メチャクチャ難しいことだと思っている。なぜなら自分はブログを書く際に「他のブロガーさんの文章を真似」しないと、文章が書けないためです。上の話に戻りますけど、実際にブログでアニメ感想を書こうとすると、作品そのものを深く理解する事は当然として、「とっくに語られている事柄」に触れたり、事実を羅列するような文章だと「良い記事」が書けないので、ある程度「自分の見解」を織り交ぜる必要がある。最後にそれを「読みやすさを意識しながら文章に落とし込む」。この多くの段階を経てようやく一つの「感想記事」として成り立つんですよね。

 

こうした「段階を経て文章を”精製”していくプロセス」、ブログを開設したての頃はとてもじゃないけど出来てませんでした。初めて書いたアニメ感想は『ボンバーマンジェッターズ』の記事でしたけど、「他のブログのほうが詳しく載っている」「感嘆符が多くて読みづらい」「文字数を意識しすぎて論点がボヤけてる」など、まさに上記で挙げた”プロセス”にことごとく失敗してるし、今でも読み返すと恥ずかしすぎてなんだかむず痒くなってくる。

 

今でも自分の文章が「読みやすい」と言える自信は全くないけれど、「その分野で凄い人」の方法論を自分なりに理解していくことで、”マシな文章”を書けるようになってきたかなと。具体的には沢山のブロガーさんの記事に触れて、そこから「使えそうな表現」を随時メモ帳に保存。さらに、記事を書くときは隣のタブで「憧れのブロガーさんの記事」を何度も読み返して、論理展開を徹底的にマネる。

例えばブロガーさんが「キテレツ大百科を踏まえた上で、ドラえもんを批評している」ならば、自分も同じように「○○という作品ではここが惜しかった、その部分を『△△』ではこういう形で描いていて良かった」という論理展開で書く。書く内容が複数のトピックになりそうな場合は、見出しをつけて読みやすくする。時には太字を使って、文章の”メリハリ”をつける。その試み全てがうまくいったかと問われればまだ自信は持てないけど、そうした「文章を書く型」を自分なりに設定できたので、「憧れのブロガーさん」に少しは近づけた(と思いたい)。

 

つまり、私は何かを書く際には基本「他のすごい人を真似て」いる。なので今でも自分の記事は「自分らしい文章」かと問われればハテナマークが付く。しかし自分はそうした「真似事」が悪い事だとは思わない。というのも、人は言語を学ぶ際には「誰かが使っていたフレーズ」を覚える必要があるからだ。大学受験の「英作文」を想像してもらいたい。英作文をマスターする第一歩は「例文暗記」から始まる。「与えられた日本語を、簡単な英語に直す」段階だ。

受験でよくある「自由英作文」は、そうした「例文暗記」をある程度終えてようやく手を出すことのできる分野だ。さらに言えば自由英作文ですら、ある程度の「型」がある。トピックセンテンスを述べ、それに対する理由と肉付け、そして結論という構成だ。そのため”自由”英作文と言えど、大部分は「定型表現」で字数を埋めることになる。もうお分かりだと思うけれど、ブログで文章を書く際も英作文の”それ”と同じプロセスなんですよね。

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もちろんこれは単純に「真似て書く人の方が、そうでない人よりも優れている」とか、そういった話ではない。むしろ中には「あえて型を決めずに書くほうが楽しい」という方や、「型は書いてるうちに自分で身につけた」という方も多いだろう(むしろこっちの方が主流かもしれない)。しかし自分にとって「何もない白紙から文章を書く」ことのハードルが非常に高く、長文記事を書くならばなおさら難しい。そこで、「模範となる記事」と自分の記事とを読み比べながら”足りない部分”を補っていく。もちろん、あくまでも”解答例”に即した文章を書いたまでなので、解答を超える文章力にはなり得ないけれど、100点満点の60点くらいの出来にはなる。

 

上でアウトライターズ・インタビューでは「先例」を読んだと述べたが、やはりそれも「型」がある程度自分の中で思い描けたほうが”書きやすい”と思ったからだ。このようにして「真似て」きた結果なのか、開設当初よりも1日のPV数は増えたし(それでも1日150PV程度だが)、文章に書き慣れていなかった頃よりも、大学のレポートを書くスピードも上がり、苦手だったレポートもある程度「好き」な部類にすらなった。何より「自分の思いを言語化しやすくなった」のが個人的に良かったと思うポイントである。

 

「使いやすい表現・論理展開」を覚えれば覚えるほど、伝えたい内容の「確度」がうんと上がる。それが結果的に「自分の意見を明確にすること」へ繋がるのではないかと思う。「表現を真似ること」は何も「思考停止」を意味するわけではないと思っていて、むしろ真似を通じて自分の理解が深まることも往々にしてある。究極を言えば私は「自分らしい文章」には全くこだわってない。しかし「意見を明確にすること」は、1つのブログ運営の方針として最もこだわっているポイントだ。その1プロセスとして「できる人の真似」をしている。

 

長々と色んな言い訳(?)をしてきたけれど、twitterでフォローしている多くのアニメ感想クラスタさんは、それぞれ個性のある文章を書かれていて、まだまだ自分は「守・破・離」の「守」から出られていないなと。逆説的ではあるけれど「” ”こそが自分のスタイルだ!」と当分の間は言い張っておく。