ロリポップ・アンド・バレット

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『タイバニ』マーベリック編に感じる"惜しさ"

外出自粛のゴールデンウィークに際して、折角だから今まで手をつけていなかった人気作を見ていこうと思い、『TIGER & BUNNY』(以下『タイバニ』)をこの5日間で視聴。

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「ヒーローもの」の王道を行く脚本と、クリフハンガーな物語の引きがかなり印象深い作品だったというのが本作の第一印象で。前半はキャラクターの自己紹介も兼ねた「1話完結キャラクターお悩み解決」の構成で”横軸”ストーリーをテンポよく描いており、そのテンポの良さとキャラクターの”奥行き”が遺憾なく発揮されていた。

 

ただ、「バーナビーの過去に迫る」物語後半の”縦軸”、特に終盤のマーベリック編では、前半の持ち味だった「テンポの良さ」が失われ、結果的に「惜しい作品」だったと私自身感じている。

「ヒーローは民間企業の雇われの身」「救助活動が事実上の競技と化している」点が『タイバニ』の最大の特徴と言えるわけだけども、明確に「ヒーローは慈善事業じゃない」世界観なのがまた面白い切り口で。

 

救助活動は視聴率稼ぎのツールで、どこまで行っても「スポンサーありき」なのが面白く、またヒーローたちはそうした「ポイント稼ぎの為の救助活動」に特に疑問を感じないあたり、この世界観における「今どきのヒーロー像」は、よりビジネスライクな考え方がスタンダードなのだろうか、なんて考えたり。対する、虎徹のように「何よりも人命救助が最優先」という、ある種のボランティア精神が劇中では「古臭いヒーロー像」として描かれているのが印象深い。

 

そして「事実上の競技としての救助活動」についても(人の命がかかっている場面をエンタメのネタにする是非について気になる所ではあるが)、現実で言うプロスポーツのような感覚なんだろうかと考えたり。このあたりの「この作品世界観における、平均的な思想」が分からずじまいだったのが少々モヤつく所ではあるけれど、、、

 

また、3話の爆弾処理回のように、緊急時にヒーロースーツが使えない場面も多く、そうした制約が物語上の「良い意味での縛り」であったと同時に、「変身して戦うだけがヒーローじゃない」事に説得力を与えていた。今にして思えば「変身しない」ながらもヒーローを描いたり、後述するように「別行動」でありながら「コンビ」を描くような、「こうあるべき」に囚われずに表現しているのが本作の持ち味なのかなと。

 

本作で最も盛り上がったのはルナティック登場〜ジェイクとの決着までだった印象。

ルナティックが実はウロボロスとは何のつながりもない第三勢力だったというミスリードの見せ方も見事。ルナティックの「犯罪者に相応の報いを受けさせる事こそが己の正義」という王道ダークヒーローを配置してくるのがますます面白い。能力減退による焦りから暴力を振るうようになった父のレジェンドを殺害した過去を、悪人を私刑で裁く事で肯定しようとするのがダークヒーローたるルナティックのルーツで。

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「ヒーローとしてのルーツがレジェンドにある」点は虎徹もルナティックも同じでありながら、「レジェンドに”ヒーロー像”を見出した」虎徹と、「レジェンドのような”悪人”を裁こうとする」ルナティックとでは、その根底にあるものが全くの別物である訳で。そう考えると、虎徹に対するアンチテーゼとして、ルナティックのキャラクター造形は本当に見事とすら思ったり。

 

それだけに、マーベリック編で他のヒーローが記憶操作されて虎徹を殺人犯とみなす中、ルナティックが虎徹を庇う一時的な呉越同舟展開には心を躍らされるも、本筋にルナティックが絡む余地が無かったのが残念でならなくて。そこは2期で補完してくれる事を期待するばかり…。

 

ジェイクとの決着については、安易に「ワイルドタイガーがバーナビーと共闘」展開にならなかったのが良かったなと。というのも、親の仇(後から本当の仇ではなかったと判明するが、それはまた別の話)としての決着はバーナビーの力で乗り越えてこそであるし、決して「2人で戦う」だけがコンビの良さではない、その描き方ですよね。

 

「信頼しているからこそ、パートナーに全てを委ねられる」という説得力を持って、ジェイクとバーナビーが一対一で決着をつけたのが見事だなと。その「良さ」こそが、マーベリック編で「勿体なさ」に繋がってくる訳ですけども…。

 

マーベリック編の「勿体なさ」

 

やはり終盤のヤマであるマーベリック編には"惜しさ"を感じてしまった。世話になっていたおやっさんポジションの人間が秘密裏にマッチポンプをしていた事が判明し、バーナビーはそれにまんまと乗せられていた、という展開そのものは王道である一方、少〜し冗長な展開や、何より「虎徹が能力減退をバーナビーに隠していた事を発端にコンビ決裂」の展開にはモヤモヤしたのが正直なところ。

 

「NEXTとしての能力が減退した事を伝えれば、バーナビーに余計な心配をかけてしまう」という虎徹によくある「良かれと思って行ったおせっかい」の類なんですけども、「信じているからこそ、パートナーに全てを託す事ができる」を描いた直後だっただけに、せっかく積み上がっていた「コンビとしての信頼関係」がブレてしまったのが実に勿体なく…。

 

この手の「すれ違い」、「2人がちゃんと話せば簡単に解決したのでは?」と考えるのは野暮だとは思うのだが、ジェイクの一件で「パートナーを信じる」を経た虎徹とバーナビーの関係なら「本当の事を話した上で、虎徹が辞めた後にもバーナビーに全てを任せられる」となりそうなものだと思う訳で…。どうしても「物語の都合で、一時的に積み上げた信頼関係を振り出しに戻した」感が否めず…。

 

マーベリック編のもう一つの惜しさ、それは「ヒーローすらもアンドロイドで代替えが利く時代における、ヒーローの存在意義」に明確な答えを打ち出さなかった点ですよね。

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バーナビーの両親の研究を悪用して生み出したヒーロー型アンドロイド=H-01が、「ヒーローに対するアンチテーゼ」になり切れていなかったのが一番の問題で。

単純なスペックではアンドロイドに敵わないにしても、それぞれのヒーローには「個性」と「ロマン」があって、だからこそヒーローは大量生産可能なアンドロイドでは替える事ができないとか、そういったヒーローのスタンス的なものは特に描かれず、単純に「立ちはだかる敵を倒して終わり」だったのが実に勿体なく。

ヒーローがアイドル化される世界観なのだから、他でもなくそうした「個性」や「ロマン」に魅了されたり、勇気を貰える人がいて、「市民達に夢を与えられるのもヒーローの存在理由」という風に描けたはずなんですよね。

 

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だからこそ、最終話で子供が屋台でヒーローのカードを買う=「推し」の概念の描写が映える筈なのに、作品の根本とも言える「ヒーローの存在意義」についてもフワッとした描き方だったのがモヤついたところ。

 

それでも、虎徹の能力が減退した後も2軍としてヒーローの活躍を続ける事で「"カッコ悪い"ヒーローが居てもいい」という答えを打ち出し、虎徹の持つ生来的な「ダサさ」を説得力のあるキャラ付けに昇華させたのが見事だったなと。

『タイバニ』は「ヒーローとしての在り方」に対して王道でありながらも新鮮な切り口で描いていた反面、惜しい作品でもあったなと。2期では未回収だったウロボロスの謎と、ルナティックとの関係性を補完してくれる事を期待。あと、ロックバイソンさんの活躍も…。