ロリポップ・アンド・バレット

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『ゾンビランドサガ』における、「生き続ける」の意味について (7話までの所感を含めて)

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私はこれまでアイドル系のアニメに手をつけたことが無かった(というか「食わず嫌い」していた)。というのも、近年ではアイドルや音楽を軸としたアニメはかなり増えていて、一見(こう言えば誤解を招きそうだが)どれも同じに見えてしまう。また、アイドルアニメの最大手とも言える『ラブライブ』や『アイマス』はシリーズの多さから「今さら手をつけるのはなぁ...。」と感じてしまい、どうしても手を出しにくいジャンルだった。そんな中、2018年の秋に「これまでとは一線を画したアイドルアニメ」が爆誕したと聞いた。さらに評判も良いようだった。聞くところによれば「ゾンビがアイドルやるアニメ」らしく、「それならアイドルアニメを敬遠していた自分にも見れそうだ(謎理論)」と思い視聴に至ったのが『ゾンビランドサガ』との邂逅である。

 

そんなこんなでようやく7話まで追いついた本作だが、いや~見事に「やられ」ましたね。というのも、「五感を喚起させる画」が本作の魅力として映えるんですよね。例えば1話、開始1分ほどで主人公のさくらが轢かれて、デスメタル調の曲をバックに死ぬシーンは視覚的や聴覚に処理できないほどの情報を与え、「否が応にも視聴者の記憶に残してやろう」という気概を感じさせる。恐ろしいのはそれがまだ序章である事だ。その後なぜか場所がワープし、シーンは館の中に移る。

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さくらはゾンビに追い回されて逃げる後、「自分自身もまたゾンビである」ことが分かるシーンはある意味で「これまでのゾンビ作品」の固定観念を捨てさせるものである(例えば多くの作品は「ゾンビから逃げる」が基本プロットであり、本作においても放送前までは「私たち、生きたい」のキャッチコピーを巧みに用いて、そのような基本プロットに則った作品であるかのようにミスリードを誘っていた。)

 

ゾンビもので叙述トリックを用いた作品では『がっこうぐらし!』が記憶に新しいだろう。しかし、実際には「ゾンビから逃れる」基本プロットが変わる事は無く、舞台装置である「学校」を用い、「逃走」に「卒業」の意味を持たせたのが『がっこうぐらし!』だった。つまり「日常系っぽく見えて実はゾンビもの」の『がっこうぐらし!』がサバイバル描写を中心に添えつつも、時折「普通の日常生活」を挿入することで日常の有り難みを強調して「ゾンビ×学校生活」のベストマッチを図ったのに対し、「ゾンビサバイバルものだと思ったら、実はアイドル系だった」という、今度は別パターンの叙述トリックだったのがシンプルに面白い試みだなと。ゾンビを扱う作品にミスリードが多いのは何故だろう...。

 

さらに言えば「ゾンビ要素」ひいては「死」を活かした設定がまた”巧く活きている”なと。というのも「キャラクターが既に死んでいる」設定は、ある意味「ズルい」(褒めてます)ようにも思えるのだ。例えば山田たえが頻繁に四肢がバラバラになって他のメンバーを驚かせたり、脱走を試みる愛の腕がスッポリ抜け、さらには6話で自分を置いて進む車を止めようと前に出た純子を幸太郎がうっかり轢いてしまう、それらのギャグは「彼女たちはもう死んでいるから大丈夫」という強烈な説得力のもとに描かれている。死んでいるからこそ、視覚的にもインパクトのある演出が可能になっている。

 

そうした「死」ならではの演出・設定を考える上で、(かつて色々な意味で反響を呼んだ)『エンジェルビーツ』を挙げないわけにはいかない。こちらは「青春時代に夢半ばで命を落とした少年少女たちが、死後の世界で未練を解消していく」話になっており、現に『ゾンビランドサガ』でも6.7話で描かれたような展開を共通項として持っている。生前の記憶を欠いた音無が、自身の過去と世界の秘密を探って行く中で、仲間と出会い様々な人生観に触れる(個人的には)名作であった。偶然にも記憶喪失設定が源さくらと共通しているのも面白いポイントだ。

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ガルデモが初っ端からゲリラライブをかまして”天使”を撹乱しようと試みたり、5話で授業中に椅子が吹っ飛ぶシーンなど、「死後の世界」ならではの過激なギャグシーンは間違いなく視聴者の記憶にこびりついたことだろう。そうした中でも、「青春のやり直し」「神が居ない世界における救いの手段」といったテーマは外さずに描いており、特に12話におけるゆりっぺの「生前に死んだ兄弟と同じくらい、死後の戦線メンバーを愛するようになってしまった葛藤」や、「音無は奏に心臓を渡したドナーだった」ネタばらしと「エンジェルビーツ=天使(奏)の鼓動」という秀逸なタイトル回収は、自分的に本作で一番褒めたいポイントだったりする。しかし、『エンジェルビーツ』には同時に相当な”惜しさ”も覚えている。

 

というのは、やはり随所で言われている通り「キャラクター数に対する話数の少なさが起因して、キャラ捌きの困難さが浮き彫りになったこと」を根幹とし、「個別エピソードに傾注させるあまり、世界観に関する説明がおざなりになった」ことが挙げられる。

さらに言えば、せっかく椎名という「明らかに現代よりも古い時代を生きていたであろう人物」まで存在していたのに、「死んだタイミングの違いによる時代感覚のズレ」まで描かれなかったのは実に惜しい点だった...。そこを描いていれば、「死後の世界」設定ももう少し深みのあるものになっていたかもと、無いモノねだりをしてみたり...。

 

そしてそれらを踏まえた上での『ゾンビランドサガ』だ。上記で述べた「死んでいるからこそ説得力のあるギャグ描写」をはじめとし、6,7話で『エンジェルビーツ』では叶わなかった「時代感覚のズレによるアイドル観の衝突」にクローズアップしたほか、雷が帯電してテクノボイスのパフォーマンスを見せるなど「ゾンビだから出来る」という最強の言い訳?で視聴者を”納得させて”いるのだ(褒めてます)。

また、同じ「既にキャラクターが死んでいる設定」と言っても、「”死後の世界で”青春を謳歌する事」と「ゾンビ化して”現世で”もう一度やり直す事」とでは根本的に違う。

あくまでも彼女らは”現世で活躍している”という事だ。エンジェルビーツ』におけるNPCとは違い、生前に彼女らを知る人間も当然ながら存在する中でのストーリーだ。

 

「環境が生前と地続きである」ことは、幸太郎の言う「ゾンビィバレ(自分たちの正体がゾンビだと知られること)」しかり、新聞記者が純子の正体に気付いた事を思わせる描写しかり、本作における重要な(ストーリー上の)”足枷”として活きているのだ。

個人的にそうした”足枷”が有効にはたらいたのが6,7話だったと思う。愛が落雷で死んだ後も、元々所属していたアイドルユニットのアイアンフリルは今なおきっちり存在していることで、愛に生前の輝かしい日々を思い出させて苦悩を生む発端となったし、愛や純子が死んでいる間にも時間が進んでいる事実、それ故に”空白の時間”と向き合う必要性、時代の変化への対応を強いられる要因となっているのだ。

 

肉体の死と、”コンテンツ”の死

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本作において「死」とは2つの意味を持っていると考える1つはお分かりの通り「肉体の死」だ。そしてもう一つが「コンテンツとしての死」だ。6話にて、愛がパソコンでアイドルの現在を調べるシーンで、かつて一世を風靡したであろうアイドルたちが立て続けに解散している事実を知る。アイドル業界をはじめとする「エンターテインメント業界」は、往々にして”寿命が短い”ものである。アイドルに限らず、10年前にヒットしたゲームや漫画が今もなお続いていることはまず無いし、終わったとしても、その作品の人気がずっと続くことも稀な世界が、エンタメの特性であろう。

 

そんな中でも確実に”今なお生き続けている”ものも少数だが存在する。仮面ライダー戦隊シリーズウルトラマンがその代表例だ。ライダーと戦隊の生みの親・石ノ森章太郎は亡くなった後でもシリーズが続いており、今年で47周年・平成シリーズだけでも20年目に突入しようとしているし、円谷英二も同様だ。仮面ライダーでは現在でも、オープニングのクレジットには「原案 石ノ森章太郎」と一番最初に表示される。つまり、彼らは肉体の死を経験しながらも、”コンテンツとして生き続けている”好例である。

 

ゾンビランドサガ』本編においても、昭和と平成を代表するアイドル2人・天才子役・伝説の花魁といった、生前に「エンターテインメントの世界」で生きたものが主要キャラに添えられ、死してなお「この世に生き続けようと」する彼女たちを描いている。一見すると「自身の存在を永遠のものにする手段」として、上でも述べたとおり”寿命の短いエンタメコンテンツ”を用いるのはある意味で「矛盾」とも思える。

しかしオープニングの「徒花ネクロマンシー」が、アイドルとは似つかない古い特撮を模したような映像なのは、それこそ石ノ森章太郎がかつて生み出し、今も生き続けている「戦隊もの」のような「死んだ後も生き続けるコンテンツになりたい=私たち、生きたい」のテーマを宣言しているように思えてならないのだ。つまり、「戦隊もの」はフランシュシュにとっての最終目標であると私は解釈している。

 

7話時点でリリィの過去・新聞記者による身バレ・山田たえの謎・幸太郎の真の目的・さくらの記憶と、まだまだ謎を残している『ゾンビランドサガ』。私は最後まで彼女たちの性(サガ)を見届けたい。 

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