シゲの鑑賞日記(仮)

主に趣味(アニメ、仮面ライダー、ポケモンなど)を自由気ままに語りますヾ(๑╹◡╹)ノ" 特に、アニメの感想などをつらつらと書いていくつもりです^ ^

組体操不要の時代

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組体操といえば小学生の頃を思い出す。私は体重が軽いほうだったので、毎回上ばかり任されて正直良い思い出がない。こう言えば「上は乗るだけだから楽だ」といった反論が飛び交ってきそうだ。なるほど確かに下で支えるのは100キロ近くの負荷がかかる上に、砂利が膝に刺さる痛みに耐えなければならないため、自分のような「上の人」には理解できない苦しさがあるだろう。しかし、だからといって「上は楽だ」という話にはならないのではなかろうか。上は上で常に「落ちるかもしれない」という不安感と戦わなくてはならない。

しかも、足場の不安定さがそれに拍車をかける。肉体的な負担で言えば上になるにつれ、減っていくのは事実であろう。だが、逆に上になればなるほど疲労感が減る代わりに「恐怖心」のゲージがあがってゆく。実際、私は小さめのピラミッドの一番上になったことがあり、練習中に崩れて足を強打してから上に対するトラウマが出来上がってしまった。

 

今回話題になっていたのは「工事現場ですら2メートル以上の場所で作業する際は命綱が義務付けられているのに、組体操ではこのありさま。子どもの人権はどうした」といった趣旨のツイートだった。「組体操不要論」に全面的に賛同する私としては、このツイートに共感する他なかった。しかし奇妙なことに、そのリプ欄では「下の人を台にして上へ登る」体勢から「これは社会の縮図だ」と揶揄するものが複数いたのだ。

 

これはどういう事なのだろうか。元ツイ主は「2メートルもの高さで、こんな不安定な足場にも関わらず子どもにやらせるのはどうなんだ」という趣旨であり「上の人の安全性の配慮」に関するツイートなのに、リプ欄ではさも「上の人は楽」であるかのようなツイートがぶら下っている。ツイ主同様、教育委員会を批判しているように見えて実際には「上の人の安全性は?」という議論にも関わらず「下を土台にするという”社会の縮図”」などと、上の人の安全性には目を向けずツイ主とは真逆の主張をしている。つまり、議論が全くかみ合っていないのだ。

 

体重が軽ければ問答無用で上にされ、常に重大事故と隣り合わせの「上の人への配慮」の議論なのに何故「下が踏み台になって、上が”得をする”」かのような主張ができるのだろうか。いや、もちろん下の人も上述の通り負荷がかかるのでそれはそれで苦しいとは思うし、実際、下段の事故の割合も非常に高い。「どっちも大変だから組体操はいらない」という意見ならまだしも、当たり前みたいに「上が楽」かのような前提で話を進めるのはツイ主の意見を真っ向から否定してますよ、という話だ。

 

教師が大事にしているのは「生徒」ではなく「世間体」

 

「上下どっちが大変か議論」はここまでにしておく。このような上の危険性、下の負荷に関する議論が起こっている時点で「組体操」はデメリットしかないという事実が露わになっている。「子供の鍛錬」「団結」ってそれ本当は学校の先生のエゴでしかなくない?という話。

よく学校側がいじめ隠蔽するアレだって、本当に生徒のこと考えていれば隠蔽なんて真似はできない筈だ。にも関わらず隠蔽工作なんて当たり前にやっちゃうのは「学校が大事にしてるのは世間体」だからなんですよね。

 

私が高校で運動部に所属していた頃、部活と勉強の両立が苦で担任の先生に「運動部を辞めようと思っている」という趣旨の相談をした事がある。その際の担任の返答は「いや、お前なら続けられるはずだ。2年生になればトレーニングの成果で体が強くなるから練習も苦じゃなくなる。3年間続けないければ意味がない。勉強を理由に逃げてはいけない」。どうなんですかね、これ。一見励ましてるように見えて実は「文武両道」の型にハメ込もうって魂胆が見え見えである。正直、この返答を聞いて自分は「これ以上両立し続けるのが限界だという話なのに、本当に話聞いてるの?」と思いました。

 

そりゃあ学校からすれば「部活も勉強もできる生徒」が望ましいし、その方が進学実績とか部活の戦績とかが華やかになって学校のイメージアップに繋がるからだろう。しかしそれは「生徒の意向」を全く無視している行為である。 

 もうこの時から先生にとって生徒は二の次で、一番大事なのは「学校」そのものなんだなと悟ってしまった。悲しい事ですけど、これが現実なんですよ。教師は皆さんが思ってる以上に生徒の事なんてどうでも良く思ってるんですよ。

だからもし、今学校でいじめられて苦しんでる人でも、学校の先生はあまりアテにならないので相談するならば外部の心理カウンセラーにかかった方が良さそうだ。

 

話が逸れたが、要は「組体操」というものは教師が生徒に「かくあるべし!」を求めた結果なんですよ。10段ものピラミッドを作ればそれは「生徒の絆が目に見える形になった!!」と喜ぶだろうし、難しい技が決まれば「成長だ!!」と喜ぶ。もうこれは完全に教師の自己満としか思えない。毎年千単位の事故が起こっても自分たちの自己満足のために、組体操を続行する。何段ものピラミッドを立てれば見栄えがよく、世間体も良いからだ。「学校の世間体のためには多少の事故もやむを得ない」って事ですよこれ。「生徒の成長、教育のため」などと生徒を盾にして、しかもそんなフワっとした概念のために子供を危険に晒す。ちょっと正気とは思えませんね。

 

 生徒の安全を二の次にして「団結力」を鍛える意義について

 

たしかに、クラスメイトのみんなで力を合わせる経験はあるに越した事はない。そうしたマネジメント能力は生きる上でも役に立つし、子供の自己形成には必須なのかもしれない。だが、それは事故の危険と常に隣り合わせの「組体操」でやる意味は無いと思っている。

私は小学5年生の頃に、運動会でチアリーディングという組体操のそれとほぼ同じ性質のものを披露した。結果的に怪我もなくクラスの団結に繋がったし、今でもその経験は"いい思い出"として残っている。それでも常に危険と隣り合わせだった事にはなんら変わらないし、生徒の安全を考えればむしろ「無い方が良い」ものだと言える。私の代がたまたま怪我人の出なかった年に過ぎないからだ。

 

小学6年生の頃、もちろん件の組体操だってやったのだが私のクラスでは運動会とは別の機会で「大縄大会」に出場した。自分の年上の先輩たちが大縄で結構な記録を残していたこともあり、私たちの代でもやってみようという話だ。

結果的に成績は惨敗だったけれど、それでも皆で練習するというプロセスでクラス仲は深まったと思う。何が言いたいかと言えば、なにもあなたたちの言う「団結力」って別に組体操じゃなきゃ鍛えられない、なんて事は無いと思いませんかって事です。大縄大会だってそりゃあ真面目に練習していないと足を捻挫する恐れだってあるし、「絶対に安全」なスポーツでは無いだろう。しかし、不慮の事故で生徒が重症を負う可能性は組体操のそれとは比にならないくらい低い事は容易に予想できる。こう書くと「大縄推し」みたいに思われそうだが、要は団結力を養うのにわざわざリスキーな道を敢えて選ぶ意味ってありませんよねって事です。

 

前々から教師に対する疑問みたいなものは感じていましたが、こういう形で(自分語りも多くなりましたが)アウトプットできてスッキリしている。