シゲの鑑賞日記(仮)

主に趣味(アニメ、仮面ライダー、ポケモンなど)を自由気ままに語りますヾ(๑╹◡╹)ノ" 特に、アニメの感想などをつらつらと書いていくつもりです^ ^

『ハガレンFA』は人間賛歌の物語だった 〜神に抗う"素手パンチ"〜

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本当に今更なのだが『鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST』(以下、『ハガレンFA』)を視聴した。劇場版の公開にあたってWOWOWで毎週5話ずつ放送していたのを追っかけたのだが、いやもうすっごい引き込まれましたね。序盤、傷の男・スカーが何やら悪い奴っぽくて「いつスカー倒すんやろ〜(ワクワク)」と呑気にテレビの前に立っていたのが恥ずかしくなるレベルで、一本の筋が通ったアニメだった。

自分はこれまで少年マンガを敬遠していた。なぜならば話が長く、登場人物も多くて追っかけるのが大変だからだ。ハガレンも私にとって「気になるけどなんだか手が出しにくい作品」の一つだった。けれど折角ハガレンの特集やるみたいだし、この機会に全部見てみようと思ったのが事の発端。結論から言うと今まで見てなかったのが不思議なくらいドンピシャな作品だったわけだ。もう本当に、自分好みの展開を取りこぼす事なくやってくれたので満足だ。

 

ハガレンのテーマとは何か?という問いには多くの答えが存在すると私は思っている。リオールのエセ神父のくだりと、神を取り込んだお父様をエドが素手でワンパンするシーンから「神を信じず自分を信じろ」というテーマを見出す者もいれば、イシュヴァール人とアメストリス人の確執、キメラと人間の協力から「人種を超えて繋がる」というテーマを見出す者もいるだろう。また、禁忌である人体錬成から「人間を蘇らせることの是非」といった生命倫理的な問題も見出すことができる。

さらに、バリーザチョッパーがアルに投げかけた「鎧に定着した魂が"ホンモノ"であると言い切れるのか?」という問いから「人間の魂はどこにあるのか」など、攻殻機動隊じみたテーマ性を汲み取る者もいるだろう。つまりハガレンには無数のテーマが存在するのだ。

しかも、そのどれもが"深い"。一見すると「神への疑念」「生命倫理」「人種間の確執」「人間の魂のありか」それらは全く別のテーマに思えるのだが、最終的には人間とホムンクルスの戦いを通して「人間って素晴らしいんだぞ!」に集約される様は見事である。今回はそんな『ハガレンFA』が、如何にして"人間賛歌"の物語を描いてきたのかをまとめてみたいと思う。理解・分解・再構築だ。

 

 ハガレンの方向性を定めた4話

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ハガレン少年マンガにしてはかなり暗いテイストとなっている。ダークファンタジーの傑作というキャッチコピーはダテではない。視聴者への洗礼とも言えるのが第4話「錬金術師の苦悩」だ。あの有名なタッカーさんの回だと言えば話が早いだろう。言ってしまえばキメラと化したニーナとアレキサンダーはこの回だけのチョイ役だし、タッカーさん関連のエピソードはほぼ1話完結で物語的にこれからの中核となる訳でもない。にも関わらず、あれほどのインパクトを与えた。

 

もちろん、キメラ化したニーナ達しかりタッカーさんの狂気的な一面しかり、今でも「君のような勘のいいガキは嫌いだよ」のセリフがネタとして使われたりと色々な意味で印象に残るシーンであったが、それ以上にエドのセリフ「錬金術師である前に自分たちは人間だ」という、これからの『ハガレン』のテーマを提示したエピソードである点が重要なのだ。錬金術師は万能の存在ではないし、中にはタッカーのように自分のエゴの為に利用する者もいる。そして人体錬成という禁忌を犯したエドの「母を蘇らせたい」思いも"エゴ"なのかもしれない。そうした"錬金術師の葛藤"を克明に描いたのが4話だったのだ。サブタイトルは「錬金術師の苦悩」だ。苦悩したのは他でもない、エドワード・エルリックなのだ。

 

女の子一人守れなかった後悔の念は、決して消えることはない。錬金術師である前に、自分は無力な人間にすぎないのだ。だからこそ、お父様との最終決戦にて、エドが"人間の手"で神をワンパンし、神に抗う展開に"人間としての成長"を感じずにはいられないのだ。無力な人間から強い人間へ、美しすぎる物語の帰結である。

まだホムンクルスも動き出しておらず、イシュバールとの確執にも足を踏み入れていない頃だ。そんな中、ただ「錬金術師の葛藤」を愚直に描いた4話には本当に『ハガレン』の全てが詰まっていると思えてならない。

 

神に抗う人間たち

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「 立って歩け、前へ進め。あんたには立派な足がついてるじゃないか」

とは有名なエドのセリフだ。恋人を亡くしてからロゼはエセ宗教を心の拠り所としていた。エセ神父をやっつけた後、もう何を信じれば良いのか分からなくなったロゼに発した言葉だ。そう、リオールでのエピソードから既に「神と人間の戦い」は始まっていたのだ。この名言を私は、神ではなく自分を信じろという意味合いでとっている。そもそも『ハガレン』において「神」はかなーり軽薄に扱われている。イシュヴァール人がブラッドレイに「神の鉄槌が下るぞ!」と言うシーンがある。そこでブラッドレイは以下のように答えた

 

神だと?さて不思議な。
この状況でいまだ私に神の鉄槌は下らないではないか。イシュバール人が滅びようとしている今になっても神は現れん。いつどこに神は現れ貴様らを救うのかね?

そもそも神とはなんだ?弱き人間が寄辺が欲しくて創り出した偶像ではないのか?

 

つまり『ハガレン』の世界では神は全くの無力であり、信じるに値しないものとして描かれているのだ。極めつけには、イシュバラ教においては再構築の錬成は禁じられていたのだが、スカーはブラッドレイ戦にて戒律を破り、ついに再構築の錬成を試みるのだ。兄が残した再構築の錬成でブラッドレイを圧倒する様はまさに「神からの離脱」を表している。

 

このシーン、あくまで個人的な考えなのだけど上で述べた「神の鉄槌云々」のアンサーでもあると私は考える。あれだけ信仰心の強かったイシュヴァール人が、宗教上の理由で否定してきた「再構築」を解禁するのは「神」ではなく自分の意志で戦うことを決めた瞬間であると言える。神に鉄槌を下す力などない、だから自分の手でブラッドレイに鉄槌を下してやろう!というわけだ。

 

そして最後に神に抗ったのがエドワードだった。オートメイルの右手でも敵わなかったお父様を"素手で"ブン殴るシーン、あれはまさに「人間が神に勝利する」瞬間なのだ。リオールのエセ神父に始まり、神を取り込んだお父様で終わる。始めと終わりが綺麗に繋がっているのだ。神を信じず自らを信じた人間たちの信念を見せつけられたのだ。

 

バリーザチョッパーの役割について

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 バリーザチョッパーを覚えているだろうか。彼もアルと同じく魂を鎧に"定着させられた"元人間だ。バリーはアルに対し「鎧に定着させられた魂が"ホンモノ"である保証はない」と指摘した。個人的に、アンドロイドの心のありかというSFチックなテーマは大好きなのでハガレンでも触れてくれたのはマジでありがたい。

人間として生きてきた記憶を魂に定着させたアルだが、そこで「本人の記憶を持つ鎧は本人たり得るのか?」という『ボンバーマンジェッターズ』にも似た問題提起がなされる。エドとアルって作中ではあまりケンカしないんですよね。ほぼほぼ唯一といっていいほどのケンカシーンが9話「創られた想い」なのである。

 

自身の存在証明に悩むアルが、もしかしてエドは自分に偽物の記憶を植え付けたのではないかと疑う回だ。この回もタッカーさん回と同じく"濃い"エピソードである。エルリック兄弟の絆を再確認し、「元の身体に戻る」約束を思い出すのだ。いや、もうすごいですよほんと。たった1話で「自己の存在証明」「兄弟の絆の再確認」をやっちゃう訳ですから。バリーザチョッパーもほんとにチョイ役なのだが、自分にとっては忘れる事のできない存在だ。バリーが居るからアルは自分の存在を再確認できたと言えるし、兄弟の絆も深まった。加えて、サイコパスな性格ながらもどこか憎めない良いキャラだったと思う。

 

最終的にバリーは自らの肉体と引かれ合い、魂の解放を求めた肉体が涙ながらに錬成陣をかき消して元の身体に戻った後、肉体の方に限界が来て死亡。自分の身体を切り刻んでやりたい!と頭のネジの外れた発想をしていたバリーだったが、肉体の方は魂を元の場所に戻したいと思っていたのだ。私的にこのシーンはめちゃくちゃ印象に残っている。魂は肉体と引かれ合うという伏線だったのだが、あまりにも呆気ない退場だったので視聴当時「え?今ので死んだの?」となり、うまく状況が飲み込めなかった。アルの身体にも時限爆弾のようにタイムリミットが迫っている事実を、バリーの死によってさらに意味が強められたのだ。

 

人間とホムンクルス その終着点

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「人間対ホムンクルス」の構造は終盤に差し掛かって大きく崩れていく。グリードは人間に味方するようになるし、人間であるキンブリーはホムンクルス側について好き勝手掻き乱すし、さらに、主人公サイドにはキンブリーの部下のキメラ達が加わる。つまり単純な人間とホムンクルス、人間と人外の戦いで終わってしまわないんですよね。

そもそも『ハガレン』には人間じゃないキャラが多数存在するわけだ。そしてどのキャラも「人間に対する意識」がハッキリと表れていて面白い。人間としての肉体を失ったアルは「人間の身体に戻る」ことを目的に旅をしていたし、キメラ達にもそうした自分の意志を見せて働きかけたシーンがある。そこで、人外に"させられた"キメラ達もアルに協力するようになる。

 

とりわけラースとグリードの信念というか「人間的な側面」は面白くて、ラースは妻を自分で選び本心から愛していたことや、全てのものを欲しがったグリードが本当に欲しかったものが「仲間」であったことが明かされるシーンが印象的だ。極めつけにはプライドだ。エンヴィーと同じく人間を下等生物と見ており、生みの親のお父様には何の感情も持っておらず、全く人間とはかけ離れたキャラのように思えたが、消滅時に育ての親であるラースと妻を確実に「親」として見ていた描写がなされる。妻への愛、仲間との絆、親子愛など彼らホムンクルスにも戦いの中で「人間らしい」部分が段々と濃く出てくるのだ。

 

そしていよいよお父様との最終決戦だ。結論から言うと"満足"の一言以外言えないキレイなオチだったと思う。もうこれも何回も言ってるけど「素手パンチ」がありとあらゆるテーマを孕んだ『ハガレン』に、「人間賛歌」という一つの解答を与えたのだ。神に対して人間の手でパンチを食らわせ、人間が神に勝つ。しかしここで終わらないのがハガレンだった。エドはアルを取り戻す為に錬金術師としての「最後の錬成」を行う。真理くんの「ただの人間に成り下がるか?」の問いにエドは「成り下がるも何も最初っからただの人間だよ」と答える。錬金術の能力を代価として、アルの肉体を無事取り戻してハッピーエンドを迎えるのだ。

 

作中において、錬金術には「祈り」としての意味が付加されている。錬成時に手を合わせたエドに対し、リンが「神への祈り」を想像するシーンがある。神を信じないエドなのに、錬成時に「神への祈り」のようなポーズで物事を解決してしまう何とも皮肉の効いた話なのだが、今になって思うと「錬金術が使えなくなること」自体が"これ"に対する解答だったのかなと。言ってしまえばエドにはもう錬金術は必要なくなったわけだ。"祈り"のポーズで錬成を行ってきたエドだったが神にワンパンを食らわせ、弟の身体を取り戻し、自らの真理の扉を代価にするシーンは真の意味で「神に勝った」のだと私は考える。最後の錬成シーンが「祈りからの脱却」を表していたなと。タッカーさん回で「自分は錬金術師である前に"人間"だ」という大前提を置き、最後の錬成で「錬金術師から人間」に戻る。すなわち『ハガレン』は錬金術師が人間に戻るお話だったのだ。

 錬金術は万能の力ではないことを等価交換の原則・人体錬成によって先に提示しておき、タッカーさん回で錬金術師のエゴを見せつけられる。最初から錬金術師の不完全さや人間の無力さをきっちりと描いているのが良い。だからこそ、錬金術を辞めて「一人間」として成長を遂げたエドには賞賛の声を上げたくなるのだ。

錬金術師としてではなく"人間"としての成長物語だ。長きに渡って描かれてきた「人間賛歌」の物語を皆にも是非味わってもらいたい。