シゲの鑑賞日記(仮)

主に趣味(アニメ、仮面ライダー、ポケモンなど)を自由気ままに語りますヾ(๑╹◡╹)ノ" 特に、アニメの感想などをつらつらと書いていくつもりです^ ^

『結城友奈は勇者である』が見せた「ポスト・まどマギ」の限界

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結城友奈は勇者である』(以下『ゆゆゆ』)、観た後にこれほど「惜しい…。」となるアニメは中々無いだろう。私の『ゆゆゆ』との出会いは今季放送中の二期『鷲尾須美の章』だった。さすがは新日常系アニメ。『Angel Beats!』でお馴染み・岸誠二監督の狂ったギャグパートとシリアスの対比が本当に見事で、観るものを飽きさせない。

特に三ノ輪銀の死は衝撃的だった。何の変哲もない日常パートが、死んだ直後に「あぁ、これ全部死亡フラグだったのか…。」と気付かされ、私はそこで『ゆゆゆ』がどういうアニメなのかを身をもって"知らされた"のだった。

 

鷲尾須美の章終盤、自らの身体を供物として戦うその"痛々しさ"がまたたまらない。わっしーとそのっちの身体がどんどんと蝕まれる様、ドがつくほどのバッドエンドっぷりに私はすっかりハマり込んでしまった。そこで、『ゆゆゆ』に対する理解度を上げるために一期の視聴に至ったのだ。今回はそんな『ゆゆゆ』が、果たしてどれだけ『まどマギ』と差別化できたのか、そしてこの作品の持つ「惜しさ」に注目したい。

 

ポスト・まどマギの側面と、仮面ライダーの影

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『ゆゆゆ』と『まどマギ』が似ているのは言うまでもない。BGMの雰囲気、風先輩の「黄色・先輩キャラ」という位置付けは完全にマミさんであり、大赦キュウべぇのポジション。東郷はほむほむ。「理不尽なルールに抗う」というテーマも共通している。

しかし、「戦うたびに身体の機能を"不可逆的に失う」という要素は「魔法少女の行き着く未来は魔女」という『まどマギ』の"真実"にあたる部分とは似て非なるところだ。

部位欠損という要素はある意味『ゆゆゆ』を新日常系アニメ"たらしめている"とも言えるのだ。我々が普通にご飯を味わって、物を見て、声を出して、耳で聞く。そういう「当たり前の日常」を勇者たちは奪われるわけだ。

以前『がっこうぐらし!』の記事でも紹介した新日常系というジャンルを、失って初めて分かる日常の大切さを徹底して描かれていたのは本当に評価できるポイントなのだ。

 

まどマギ仮面ライダーっぽい」とは放送当時かなり言われていたことだ。まどマギ仮面ライダー性は「ヒーローにあたる者が後に怪人化する」要素や、ほむほむが時間を遡るくだりがタイムベントとか、杏子ちゃんが王蛇だとか枚挙にいとまがない。

しかし、『ゆゆゆ』の場合はまどマギ以上に仮面ライダー性を内包している。具体的には友奈の初変身シーンで、攻撃を繰り出した手足が順に変化していく様は完全に『クウガ』のそれだし、「星座モチーフの敵」は『フォーゼ』のそれだ。満開の後遺症で味覚を失うところは『オーズ』『鎧武』と(厳密に言うと違うけれど)ほぼ同じメソッドである。考えてみれば『ゆゆゆ』が『鎧武』なのは当然である。なぜなら『鎧武』自体がまどマギに似ているし、そのまどマギに似ている『ゆゆゆ』もまた『鎧武』であると言える。他にも「樹海化」はヘルヘイムの植物の侵食と共通している。私自身仮面ライダーシリーズが好きなので闘うたびに日常を奪われる展開には弱く、そのような「日常から非日常への転換」は見ていて飽きない。

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特に9話での樹ちゃん回は素晴らしかった。満開の後遺症の真実を東郷さんから告げられ、風先輩が皆を巻き込んでしまったことを一人で苦悩するエピソードだ。樹ちゃんのキャラソンをバックに大赦への怒りをあらわにして泣きながら暴走する風先輩に感情移入せぬ者はいないはずだ。加えて、「歌い続けるから」という歌詞がズルすぎる。不可逆的な後遺症だからもう樹ちゃんは二度と歌えない("はずだった")のに、歌詞ではこれからも歌い続ける意志がある、というジレンマがライフポイントを確実に減らしてくる。

 

テーマに縛られた脚本

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これだけ書いてきて何が言いたいかと言うと、『ゆゆゆ』にも確実に『まどマギ』とは違うベクトルの"面白さ"があった、ということだ。途中までは本当に理不尽ルールの描き方も上手だったし、それ以前にも3話で夏凛ちゃんが加わるエピソードも複雑な心理描写に私が心を踊らさせたのもまた事実である。11話で夏凛ちゃんが再起不能覚悟で勇者部五箇条を言いながら満開でバーテックス五人抜きをするシーンは屈指の名シーンで、勇者部を嫌っていた花凛が、空で五箇条を言えるくらいに勇者部を愛していたという展開はもう本当に熱すぎる展開なのだ。なのだが…。

 

やはり落とし所は下手だったと言わざるを得ない。そもそも東郷さんが怪しいことを企んでいる時点で「おいおい…。どうやって終わらせるんだコレ…。」感はハンパなく、最終回を見るのが正直「怖かった」のだ。しかもラスボスは事実上東郷さんみたいなもんだから、かなーりやばい予感はしていた。記念すべきラストバトルが仲間割れって…。と思ってしまったのも事実。そして肝心の着地だが、まさかの全員回復オチで開いた口が塞がらない。それも再起不能→回復を最終話のたった1話だけでやってしまうんですよ?そりゃあもう詰め込み過ぎとしか言えない。

 

まどマギ』の場合、魔女化システムを食い止めるためにまどかが円環の理で概念と化す、というビターながらも整合性の取れた良いエンディングだった。ハッピーエンドとは言えないものの、これにより美樹さやかをはじめとし救われた存在が確かにあった。なので『まどマギ』の円環の理は落とし所としては"完璧"だったと言える。

同じように『レジェンズ 甦る竜王伝説』という知る人ぞ知るマイナーアニメがある。この作品はデジモンポケモンのようなモンスターを操る系のアニメなので魔法少女とは全くジャンルが違うのだが、話の展開は『まどマギ』のそれと全く同じだ。幾度と繰り返されたレジェンズウォーを止めるためにスピリチャルの力を借りて過去改変をし、闘う意味のなくなったレジェンズたちが自然に還り子供たちとお別れをする。それにより人間・レジェンズ双方が救われて終わる、というこれまたビターすぎるくらいのビターエンドとなっている。

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『ゆゆゆ』の場合どうだろうか。あれだけ不可逆的な後遺症に対する苦悩を描いておいて、最終回でいきなり「やっぱり供物返しまーす!」だ(それもセリフで説明しちゃっているのがまた不味い)。いや確かに「成せば大抵何とかなる」というテーマ自体は良いと思う。けれどそれを描くためのお膳立てがあまりにもデカすぎていまいちテーマとして収容しきれていないのだ。しかも神樹様の気まぐれで供物がいらなくなった、というのもモヤモヤ…。さらに言えば大赦が『まどマギ』で言うところのキュウべぇになりきれていないのも大きなマイナスだ。結果として大赦キュウべぇと違って明確に"悪"として機能していない。勇者システムの真実の隠蔽も乃木園子によれば「大赦なりの優しさ」で処理されており、大赦の狙いもいまいち分かりづらくなっている。さらに、あれだけ悪者扱いされてた大赦も結果的には「嘘を言っていない」ので、勇者サイドの勘違い感が浮き彫りになってしまう。もっと勇者サイドと大赦がコミュニケーション取っておけばいいのに…。という、本当に基本的な部分がグラついている。

 

結局のところ「回復オチ」というのはこれまでの苦悩や奔走を全て「なかったことに」してしまう荒技でもあるのだ。樹と風先輩の回も、花凛ちゃんの勇姿も全て台無しにしかねない「安易なハッピーエンド」と言わざるを得ない。後遺症に苦しみながらも受け入れて進んでいく、そこが"美味しい"のに。後遺症が治らないからこそ、樹ちゃん回も夏凛ちゃんの勇姿も輝いて見えるというのに。日常が非日常と化し最後には再び日常を取り戻す、という展開自体は良いのだが、やはりその描き方が単に"下手"だったと感じている。

つい最近放送されていた一期総集編にて東郷さんが「理由は分からないけど供物として捧げた体が戻ってきた」というとんでもない発言をしていた。これって公式が「理由はないけどハッピーエンドにしちゃいました」って言ってるようなもんですよ。これはいくらなんでも擁護できない。

 

加えて言えばバーテックスに対する根本的な解決はなされておらず「ひとまず主人公世代の勇者は何とかなった」だけの話である。次の世代への実質的な「投げっぱなしエンド」とも言えるので、今後のメディア展開で補完されることを願っている。ダラダラ書いてきたが、何が言いたいかというと「成せば大抵何とかなる」というテーマに"縛られすぎた"作風だなと。どんな作品にも伝えたいテーマがあるものだが、無理やり鋳型にハメ込んだような出来になってしまった。

 

『ゆゆゆ』が見せた「ポスト・まどマギ」の限界

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近年の魔法少女ものは『まどマギ』と比較されるのはある程度宿命と言えるので仕方がない。『ゆゆゆ』もその代表だが、確かに途中までは『まどマギ』と違った魅力を持つ作品だった。『幻影ヲ駆ケル太陽』という作品がある。こちらもポスト・まどマギの一つなのだが、ぶっちゃけあまり出来は良くなかった。義務のようなグロ描写と、義務のような水着回という見ていても目新しさがなく放送当時は劣化まどマギとまで言われていた。

今回の『ゆゆゆ』は不可逆的な後遺症・新日常系という新たなジャンルを生み出し、ある程度は「面白い!」と思えた作品ではあるものの、自分の中で『まどマギ』には匹敵しなかったと感じている。八方塞がりな展開に「円環の理」という一つの"解答"を与えた『まどマギ』は仮想敵としては強すぎたのだ。勇者システムはまどマギで言うところの「魔女化」なのだが、そのタネ明かしまでは良かったのに着地の仕方が納得できなかった。本当に"惜しい"作品だった。

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どうでもいいけどこのシーンで『グレンラガン』の「歯ァ食いしばれえぇ!!」を思い出した。