シゲの鑑賞日記(仮)

主に趣味(アニメ、仮面ライダー、ポケモンなど)を自由気ままに語りますヾ(๑╹◡╹)ノ" 特に、アニメの感想などをつらつらと書いていくつもりです^ ^

『君の名は。』を見た後に『秒速5センチメートル』を見たら何とも言えない気分になった

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こんにちは、シゲです!

昨年『君の名は。』がヒットしたこともあり新海誠氏の知名度がグンと上がった。実を言うと私自身、『君の名は。』を見るまでは新海誠の事は全然知らなくて、代表作の『秒速5センチメートル』(以下『秒速』)というタイトルだけは聞いたことあるかな?くらいの認識であった。

 

昨年では周りの『君の名は。』ブームに流されたこともあって映画を見に行ったのだが、結論として『君の名は。』は大変面白い作品だったと思っている。「過去改変」「入れ替わり」「世界の危機」(より踏み込んだ言い方では「セカイ系」とも言えるか?)といった、複雑な方法論で話が展開されて、一分一秒が目を離せない映画だ。加えてRADWIMPSの挿入歌も随所に使用されていてメリハリのある仕上がりとなっている。

 

そして今回、WOWOW新海誠特集の一環として過去作の一挙放送を行っていたのだが、そのうちの一つ『秒速』をこの機会に見てみようと思ったわけだ。

結果としては良くも悪くも"考えさせられる"作風だったなと…。正直に言うとあまり盛り上がるような作風ではないし、『君の名は。』のように笑いあり、時には涙ありといった緩急も特にあるわけでもない。何とも不思議なアニメなのだ。

 

分かりやすい言葉で言えば「切ない作品」という事になるのだけど、ただの「切ない」という言葉で片付けてしまうのはあまりにも勿体ないような…。今回はそんな『秒速』が私にとってどういう作品だったのか、モヤモヤの正体を解消する為にも考察していきたい。

 

 

君の名は。』との比較

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君の名は。』最大の特徴と言えば恋愛のみならず、過去改変・隕石・入れ替わりと言ったSF的要素だ。途中まで入れ替わりトリックは隠されており、お馴染みの前前前世をバックに「入れ替わってるぅ〜?!」のシーンで初めてそれが明かされる。そして入れ替わりの対象が「三年前に存在した女の子」というのがまた一風変わっていて実に面白い。入れ替わりと過去改変を巧く融合させた作品であることはもちろん、男女の巡り合いもきちんと描かれている。

 

一方で『秒速』はどうだろうか。「出会いと別れ」に比重を置いているのは『君の名は。』と同様。一方でSF的要素は皆無であるものの(誤解のないように言っておくが、それが"悪い"という訳ではない)、男女の距離感を巧みに表現されている。むしろ『君の名は。』と比べてより"リアル"な路線だ。

 

幼馴染との特別な感情から始まり、大人になるにつれて昔の恋愛は「淡い思い出」と化していく様をまじまじと見せつけられる。これが何とも切なくて、でも"大人になる"というのはそういうことなのだなぁ、と書いていて思っていたけれどとにかく「リアル」なのだ。

 

ついこの前WOWOW新海誠へのインタビューが取り上げられており、(うろ覚えだが)新海誠の作品は"距離"がテーマになっている」と言及されていた。『秒速』では東京と栃木の物理的な距離、『君の名は。』では3年という時間的な距離がある、というもの。

この番組を見て、男女間の距離を別のものに置き換えて表現することで、より"距離感"を際立たせる演出なのだろうか、と私は思った。

 

君の名は。』では瀧くんと三葉の邂逅と別れ、そしてラストには無事再会することでハッピーエンドとなる。対する『秒速』では貴樹と明里の邂逅から別れまでが描かれており、決してハッピーとは言えない仕上がりとなっている。

 

つまり『君の名は。』は出会い→別れ→再会なのに対し、『秒速』は出会い→別れという流れになっている。同じ新海誠の作品で、同じ「距離」というテーマを扱っているものの、方向性は真逆である。再会することで前に進んだ『君の名は。』と、別れることで"大人"になれた『秒速』は全くもって似ていない。落とし所としては対極に位置する。

 

『秒速』で描かれた"距離"

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離れる事で"大人"へのステップを描いた『秒速』だったが、近づいてから離れるまでの距離感が非常にハラハラするものだった。例えば「桜花抄」で貴樹が明里に会うために電車で栃木まで行くシーンだ。田舎の電車はただでさえ本数が少ないのに、雪がさらに遅延という追い討ちをかける。雪がゆっくりと地面へ降りて行くように、電車も実にゆっくりと進んでゆく。

 

しきりに腕時計で時間を確認する貴樹。たしかに明里との物理的な距離は縮まっているはずなのに、むしろ"遠のいていく"ような感覚に視聴者は襲われる。この「近づいているのに遠のいている」ような不思議な感覚が、我々を映画の中に引きずり込んでしまう。

 

待ち合わせの19時から3時間ほど遅れてようやく明里と再会できた途端、私は謎の達成感を味わってしまう。ジリジリと近づいて、でも何故か遠のいているような焦燥感、そして最後には無事再会できた安心感を我々に"与えさせる"、否が応でも感情移入させるよく出来たエピソードだった。どうでもいいが個人的にファーストフード店で2人が古生物の話題で盛り上がっていたシーンがお気に入り。

 

コスモナウト」では、舞台は高校に変わりヒロインは澄田花苗へとバトンタッチされる。種子島での高校生活と、新海誠の抜群の風景描写は非常に相性がよく「種子島行きてぇ!」となるのは置いといて、今度はヒロインの方から貴樹に近づこうとする物語だ。

しかしここで注目すべきは2人の距離感が全くもって"縮んでいない"ということ。遠のいてすらいない。つまり、「貴樹にとって花苗のことはアウトオブ眼中ですよ」というお話。これが端的に表れたのがロケットを眺めるシーンだ。

いざ告白しようとしたら、貴樹は打ち上げられるロケットに興味をそそられるばかりで花苗のことを全く見ていない。

 

これはあくまで個人の見解なのだが、貴樹はどうも「モノ」に興味を持つタイプの人間なのかなと。前述した古生物のくだりもそうだ。あれくらいの歳の男の子ならば普通はスポーツだったり、文化系の人間だとしても流行りのゲームに興味を持つはずなのだが、貴樹の場合よくわからないサソリみたいな古生物に興味をそそられるんですよ。これが凄く面白い。打ち上げられたロケットを見る目もきっと古生物を見る目と同じだったはずだ。明里の時は本当に奇跡的に趣味が合っていたのだが、花苗の場合は「共通の話題」すら無いのだ。

ザックリ言ってしまうと明里の時は明里>古生物であり、たしかに古生物が好きながらもそれ以上に明里を想っていたのは明らか。対する花苗はロケット>超えられない壁>花苗という不等号になっている。あえて残酷な言い方をすれば貴樹にとって花苗はロケット以下の存在だったわけですよ。貴樹がロケットに何を見出していたのかは不明だが、花苗には何も見出せなかった。その「人がモノに負ける」構図がすごく冷淡で恐ろしいのだ。

 

ビターエンドな落とし所

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そして物語のキモである「秒速5センチメートル」で幕は降ろされる。就職をし、社会人としての生活を送る貴樹。新しく彼女もできたけれど変化の無い毎日に嫌気が刺してくる。ついに彼女からは「私たちは1000回メールをやりとりして、たぶん心は1センチくらいしか近づけませんでした」と言われる始末。しかも文面で、ですよ。味気ねぇ!って話ですよね。ふと「あの子は今どうしてるだろう」と思い浮かぶのだが、その子も今は別の男の人と付き合っている。あれほど距離が近かったあの子も、今では全く別々のライフを送っている。ラストでは踏み切りで電車が通過した後、振り返っても再会する事なく貴樹は新たな一歩を踏み出す。

 

この作品のメッセージは「人生ってそういうもんだよ。大人になるってそういうことだよ」というものだろう。思い出は思い出のままに、過去は過去。今は今を精一杯生きるべきだ、という仮面ライダーウィザードのような落とし所となっている。

こういった落とし所は『君の名は。』で奇跡的な再会を味わった人からすればモヤモヤは拭えないだろう。もちろん『君の名は。』感覚で見た私も最初はそういったモヤモヤを感じていた。しかし考えてみれば『君の名は。』と『秒速』は前述した通りそもそもの特性が全然違うのだ。『秒速』の落とし所はいわゆる「ビターエンド」であり、決してハッピーとは言えないものの、完全にバッドエンドとも言い切れないものとなっている。

そういった意味では巷で「君の名は。は新海さんらしくない作品だ」と言われているのもまぁ頷けるのかなと(他の新海誠の作品を見ていないけど。これを機に『言の葉の庭』も見ようかな)