シゲの鑑賞日記(仮)

主に趣味(アニメ、仮面ライダー、ポケモンなど)を自由気ままに語りますヾ(๑╹◡╹)ノ" 特に、アニメの感想などをつらつらと書いていくつもりです^ ^

『何者』は一周回って何回も見たくなる作品だった

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こんにちは、シゲです!

映画『何者』、本当にハラハラする作品だった。ハラハラの大きな要因として「SNSの恐ろしさ」と「就活」の2つの軸がある。SNSについては非常にナウい要素であり、よくある充実アピールや裏垢の存在など、今の若者たちに「あるある!」という共感を生み出していた。さらに「就活」に至ってはこれから経験する大学生ほか、もう既に就職して働いている人にも「俺の時もこんな感じだったな〜」と感じさせる。

 

つまりSNSも就活も「強い共感」を生むのに活かされていたな、と。それが映画『何者』の最大の特徴である。そしてSNSと就活の二要素が劇中で思わぬ「共通点」が提示された。今回は主にその事について書いていきたいと思う。そんな『何者』が如何に我々の胃にダイレクトアタックを成し遂げたのかを見ていきたい。

 

 

二宮拓人は典型的な「ひねくれ主人公」

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まずもって主人公がめちゃくちゃ捻くれてるんですよね。ライトノベルで言ったら「やれやれ系」であったり、ちょっと斜に構えて物を見ている人間だ。そしてそんな自分を「冷静」である、と強く思い込んでいる。これがもしアニメならば何故かモテてハーレムだったり、主人公補正で事がうまく進んだりしていたかもしれない。

 

しかし『何者』では「主人公補正」などというものは全くもって存在しない。物語序盤では就活をダウトに例えたり、理香を「学級委員がそのまま大学生になったみたい」と冷静に分析してる風を見せ、瑞樹と光太郎から「分析が冴えるな〜!」と言われていたのだが終盤でボロが出まくる。理香が指摘したように彼は単に人を嘲笑っているだけであり、自分自身は何の努力もしない所謂クズ主人公である。

そしてそんなクズ具合は誰にだって伝わっている、と理香に指摘され狼狽する。極め付けには「そんな人、どこの会社も欲しいと思うわけないじゃん」と言われる始末。

 

 

『何者』の凄いところは「主人公補正」なんていうご都合主義を徹底的に排除しているところだ。安易にラノベと比較するのは間違いかもしれないけれど、ラノベだったら絶対拓人は持ち上げられていたと思う。その冷静を装って人を分析する様も、もしかしたら作品の中では「良し!」とされて拓人マンセー状態になっていたかもしれない。

拓人という人物は正直、みんなから嫌われるタイプのキャラである。Twitterの裏垢で悪口を言いまくったり、人のツイートを見て嘲笑ったり、そうした「闇」の部分は理香やサワ先輩が指摘してくれる。この「主人公の行動を咎める」事を、決して手を抜かずに描いていたのが私としてはめちゃくちゃ嬉しいのだ。駄目なところを「駄目だよ」と言ってくれる人間がきちんと作中で活かされているため、個人的にはよく言われる「ドロドロ感」というものはそこまで強くは感じなかった。むしろ拓人に指摘するシーンを見て思わずスカッとしてしまったのだ。

 

 

信念のある者だけが生き残る

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ここまで拓人について掘り下げてきたが、本作では登場人物を分かりやすく「ハッピーエンド組」と「バッドエンド組」の2つに分ける事ができる。まずもってハッピーエンド組とは光太郎・瑞樹・ギンジの3人を指す。バッドエンド組は拓人・理香・隆良だ。

 

ハッピーエンド組に共通していることは「軸がブレなかった」ということ。光太郎は志望動機こそ、自分の恋人に会いたい!という褒められたようなものではないが、間違いなく彼には「そこへ就職したい!」という強い信念があったに違いない。光太郎は言って仕舞えばチャラ男で頭の悪そうな奴なのだが、ああ見えて自分の考えはしっかりと持っているので非常に好きなキャラである。彼の素直で何事にも全力で取り組む姿勢は社会に評価されて然るべきであった。そして何より光太郎のキャラは『何者』の中でもかなり特異だ。腹の探り合いや価値観のすれ違いが度々描かれる中、彼だけは天真爛漫で「いい意味でのアホ」だった。彼のおかげで『何者』の殺伐とした空気感はある程度緩和され、ストレスフルな作風でありながらもある種の「逃げ場」を設けてくれた存在なのだ。

 

瑞樹についても、彼女の肩書き「地道素直系女子」の通り「凄い!」と素直な感情を出せる人間だった。例えば序盤で飲み会の集金をするサークルの女子に対して「ああいう面倒ごとを自分からやろう!と思えるのはすごいよね!」という発言や、演劇の脚本を書く拓人に対する「すごい!」など物事を斜に構えて見る拓人と対を成すように、彼女は純粋な目で物を捉えられるキャラである。

さらに瑞樹には「母を支えなければならない」という大きな課題があった。普通母は子供を支える存在であるが、色々と事情があり今度は自分が母の世話をする番になる。その為にはまず、出来る限り大きな会社に就職をしなければならなかった。結果として本作で一番最初に就職に成功したのだ。

彼女が一番乗りで就職できたのはやはり、「一番最初に"大人に"なれた」という事になるのだろう。

 

ギンジについては上2人とは違い、「就職」という道を選ばなかった存在である。拓人と口論になった際「俺は舞台の上で生きる」ことを宣言した。もちろんそうして生きていくことは簡単にはいかないはずだが、彼の心にも間違いなく「信念」が燃えていたことだろう。おそらく殆どの人が「就職を良し」とする中で「舞台で生きる」という選択は、一見するとレールから外れたようなイメージを持つかもしれない。確かに、仮に彼の劇がウケそれを生業にして生きていこうとしても、その勢いが長年続くとは限らない。しかしながらそんな茨の道を、強い意志を持って選択した彼の行動は褒められるべきだろう。彼にとって「自分らしい生き方」は就職ではなく、劇団の中で生きることだったのだ。作中で拓人が「ギンジと隆良は似てる」と言及したが、隆良とは比較にならない決断力と信念である。彼もまた、演劇の道に進む覚悟がなく何となくで就職の道を選択した拓人と対をなす存在だ。

 

 

人間の醜悪な部分を押し固めてできた「バッドエンド組」

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何者で一番美味しい部位はバッドエンド組の他はあるまい。むしろバッドエンド組を見るための映画といっても差し支えない。三人に共通するのは「自分を"自分たらしめる"努力をできなかった事」。これに尽きる。

グループディスカッションでも「私は!私は!」の一点張りや多くの肩書きで自分をアピールするあまり、もはや何者なのかすら分からなくなった理香。「就活なんて時代遅れでこれからは"孤"の時代だ!」と豪語したものの結果的に周りに流されて就活をするようになり、誰よりも軸がブレブレだった空想クリエイター系男子の隆良。そして上で述べた通り人を「冷静な分析」と称して裏で嘲笑う癖に、自分のことは全く分かっていなかった拓人。

 

この三人は見事なまでに人間の負の側面を体現したものであった。と同時にこれから来る就活への反面教師として活きていたのだ。いや確かに彼らは彼らなりに頑張っていたというのは分かる。しかし三人の根底にあったのは「他人を見下す心理」だった。一見、人間の汚い部分がごった煮で合わさったように感じる『何者』だが、「ひたむきに頑張るものだけが生き残る」という極めてシンプルな落とし所だったと感じている。

頑張る者を見下したりバカにするような人は、いずれ自分の首を絞めることになる。なんて単純明快な着地点なのだろう。「就活がテーマ」「もう二度と見たくなくなる」と聞いていてものすごく身構えて見ていたのだが、むしろこの着地は非常にスカッとする上に何度も何度も見てしまいたくなる綺麗さだ。

 

 本質的にSNSと就活は似ているのでは?というテーマ

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『何者』において、SNSは非常に強い共感を生む仕掛けだったと最初に述べた。ツイッターだけを見て「隆良とギンジは似てる」と切り捨てようとする拓人に対してサワ先輩は「ギンジと隆良は全然違う。たった140字の集まりで片付けようとするな」と叱責するシーンがある。

つまり、たった140字の集まりだけじゃその人の事など何にも分かるはずがないだろう、と言っているのだ。確かに我々もツイッターを遡ることで「この人はこんな性格なのか」と簡単に判断してしまいがちで、言葉の裏にある人格にまで考慮できていないかもしれない。なのでこのセリフは拓人というよりも我々に向けたセリフとも取れる。

 

しかし、私はこのセリフからSNSとは別のことを指摘しているように感じた。アバンで拓人が「面接ではツイッターの140字と同じく、限られた時間で自分を表現する必要がある」と言っていたが、これは「就活とSNSは似ている」ということをダイレクトに表したセリフのように感じるのだ。つまりサワ先輩の「たった140字で人を判断するな」はそのまま就活にも同じことが言えるのではないか、と私は考えた。

何が言いたいかというと、「たった140字で判断するツイッター」と「たった数分間の面接で判断する就活」は本質的に同じなのではないか?という事である。

 

つまり、サワ先輩の「ほんのちょっとでも、言葉の裏にある人格に目を向けろ」というセリフはSNS云々の問題ではなく「就活システムに対する疑問」なのではないだろうか。SNSへの警鐘を鳴らしたように見える『何者』だが、見方を変えれば就活システムへの痛烈な風刺とも取れてしまう。本当に噛めば噛むほど味わい深いスルメ映画だった。