シゲの鑑賞日記(仮)

主に趣味(アニメ、仮面ライダー、ポケモンなど)を自由気ままに語りますヾ(๑╹◡╹)ノ" 特に、アニメの感想などをつらつらと書いていくつもりです^ ^

『レジェンズ 甦る竜王伝説』を観て余韻がもうどうにもとまらない!

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こんにちは、シゲです!

ボンバーマンジェッターズ』を観て以来、私は子ども向けアニメの沼にすっかりハマってしまったのだが、『レジェンズ 甦る竜王伝説』(以下『レジェンズ』)の存在は2chのスレを見るまではほとんど知らなかった。シロンのねずっちょフォルムだけはどこかで見たことあるかな?って具合の認識だった。確かに私が小学生のころに放送されていた筈なのだが、周りで「レジェンズ見てるよ!」という友達がいなかったからかもしれない。

玩具展開もあまり充実はしていなかったイメージなので(実際私が小学生の頃にスーパーでタリスポッドやソウルドールがおもちゃ売り場で置かれていたのを見たことがない…)ほとんど前知識なしで視聴に至ったのだが、逆にそのおかげで毎回ワクワクと新鮮味のある見方ができたので良かったと思う。

 

「モンスターと、それを操る子供たち」という、ポケモンデジモンを彷彿させる設定であった。敵サイドのJJとBBもどこかロケット団のような雰囲気を醸し出し、中盤でレジェンズのコマンドバージョンが登場したが、変身する際の背景がすげーコンピュータ感があってデジモンっぽかったりと、両者の要素をふんだんに盛り込んでいた。

だが決してポケモンデジモンの二番煎じという訳ではない。ニューヨークを舞台に洒落たジャズをメインのBGMとして用い、さらにエンディングテーマに「どうにもとまらない」の英語版アレンジを使うなど、選曲が無駄に濃くそれはそれで強烈な個性が光っていた。

 

結論から言ってしまうと、決してハッピーエンドとは言えない終わり方である。。理想的な結末ではないものの、それ以外の選択の余地は無かっただろうなという『まどかマギカ』に近い感想を抱いた。しかしハッピーエンドが否かは置いておくとして、50話という長期スパンを一切中だるみすることなく描き切ったので、その点は非常に満足している。

上でポケモンデジモンっぽさを感じるとは言ったがその「ポスト・ポケットモンスター」とも言える本作品は私の予想していた以上の鬱展開へと突入し、完全に第一印象である「ポケモンデジモンっぽさ」を払拭してしまったのだ。さらに言えば、「今まで頼ってきたもの(レジェンズ)が実は人間を脅かす存在だった」「レジェンズウォーから感じる"ループもの"の色彩」「綺麗に終わらせたものの、ハッピーエンドとは言い切れない作風」など、むしろ『まどマギ』のような深夜アニメ的な文法が使われていたな、というのが最後まで見た感想である。

つまり見る前までは『ポケモン』であり、見たあとには『まどマギ』になる何とも面白いアニメだったなと。それでは『レジェンズ』はどのようにしてポケモンデジモンとの差別化を成し遂げてきたのかをこれから見ていこうと思う。

 

 

レジェンズとサーガの屈折した関係性

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 モンスターを操る作品では、モンスターとの絆を深めるまでの過程が描かれる。ポケモンならばサトシがオニスズメの大群からピカチュウを守ろうとしたことで、両者が強い絆で結ばれることになった。レジェンズでももちろんこういった過程は描かれるのだが、絆を深めるまでのプロセスがきわめて特殊だった。

レジェンズ」が操られる側のモンスターであり「サーガ」はレジェンズを操る側という主従関係であるが、この関係性が非常に屈折して描かれていたのだ。

 

とは言うものの、主人公のシュウとシロンは「ちょっとバカでやんちゃな少年」と「それを見守る相棒」というとても理想的な関係だった。時にはシュウがボケ倒し、それをシロンがつっこむというバランス感が保たれていた。つまり、主人公とそのパートナーは最初から割と良好な関係だったのだ。

シロンがシュウをレジェンズウォーに巻き込みたくないがために家出してわざと距離を置くなど、むしろ気を遣いすぎな部分が見受けられた。シュウを巻き込まずに一人でダークウィズカンパニーに立ち向かうがサーガの力無しでは何も出来ないと分かり、家出した後にようやくシュウの大切さに気づく。「相棒から離れて、初めて相棒の偉大さが分かる」展開はよく使われるが、レジェンズ』において「サーガとレジェンズは切っても切り離せない関係」がそのまま作品のキーとなってくるのだ。

 

このように王道展開でシュウとシロンは絆を深めてきたが、問題は他のメンバーである。ディーノとグリードー組を一言で表すと「ヤンデレ」と「距離感をあえて離そうとする男」という、非常に危なっかしいものである。ディーノはあまり人と仲良くできない人間であり、他のキャラとも距離を置いていた。そして自身のレジェンズであるグリードーを数少ない「友達」として認識し、グリードーを我が物にしようというヤンデレっぷりを発揮する。しかしグリードーは過去のレジェンズウォーの際に大切なサーガを亡くした経験があり、必要以上にサーガと仲良くなることを避けていたのだ。

そして遂に「君は僕の友達だよね?」というディーノの問いかけに対し、グリードーは「お前は…。俺の友達なんかじゃねぇ!」と返してしまう。どちらもワケがある上、そんな微妙な距離感故のすれ違いに心がチクリとくるのだ。シロンもグリードーも「サーガを傷つけまい」という意志のもとであえて距離を置くという"優しさ"を持っているのだが、その優しさがアダになる歯がゆい関係性だった。グリードーの場合はさらに「サーガがヤンデレ気味」という困った属性を持っていたため、より一層入り乱れた関係である。

 

メグとズオウの関係性もこれまた非常にしんどいものがある。物語の流れとしては、レジェンズの恐ろしさについて身をもって知ったメグが、タイミング悪く水のレジェンズであるズオウに好かれてしまうという話。メグは「レジェンズ=恐ろしいもの」というイメージを持ち、一向にズオウに心を開こうとしないのだ。メグの目の前に水のタリスポッドが出現し、いよいよサーガとして目覚める時が来たか!と思えばあろうことかタリスポッドを投げ飛ばす始末である。メグを守りたいというズオウの思いが、ことごとく裏目に出てしまう。同時に、この「レジェンズへの恐怖心」というものは後に物語の根幹に関わってくる要素にもなってくるのだ。

 

中でもマックとガリオンの関係はかなり特殊である。お互いに「自然を愛する」という点で共通しているものの、手段が全くもって一致していなかった。登場当初のガリオンの考えは「自然を守るためなら人間はどうなってもよい」という極端にも程があるものであり、どちらかと言うと悪役側に近い考えを持っていた。それも、レジェンズウォーが起こるのは必然だから仕方がない、という半ば悲惨な運命を受け入れてしまうような言動が見受けられた。さらに面白いのが「マック自身がガリオンに変身してしまう」という点。そもそも「レジェンズと、それを操るサーガ」という関係が成り立っていないのである。この性質故に、マックとガリオンは暫く平行線を辿ることとなるのだ。だからこそ、人間を悲観視していたガリオンがマック家に行った際に、自然をふんだんに使って作られた"陶器"を見て「人間のつくったものの良さを知る」展開はグっとくるのだ。同じような考えに見えて、実は根本的な部分が食い違っていたマックとガリオンの関係はようやく解消される。

 

シュウ、ディーノ、マック、メグのそれぞれの「レジェンズとの関係性」を見てきたが、共通点として「衝突が起こっていない」という所がある。サトシとピカチュウのようにお互いがぶつかり合った末で絆を深めたり、ザックとカブト丸のような「凸凹コンビ」を通じた絆の描かれ方は一切なされていない。これが『レジェンズ』において"美味しい"と感じたポイントである。

シュウを巻き込みたくないために1人で家出したシロン、ディーノの身を守るためにわざと突き放したグリードー、メグに嫌われまくりでまともに話ができなかったズオウ、そもそも顔合わせすらできなかったマックとガリオン、これらは全て「どちらかが一方的に距離を置いてしまっている」という非常に特殊な関係性である。この複雑なすれ違いから始まり、「レジェンズとサーガは切っても切り離せない運命にある」というギミックを用いて、最終的にはレジェンズウォーに立ち向かう過程でサーガとレジェンズとの絆を描いた点は非常に秀逸であった。

 

例えばマックがガリオンと分離をし、初めて対面した際「嬉しかった」ことを、その頃ズオウとすれ違い真只中だったメグに対して言うシーンは、「対面することで分かり合える喜び」をメグに伝えたかったのだろう。マックのそのセリフがメグとズオウの絆を深めるキッカケとなったのだ。まとめると「レジェンズとサーガが"向き合う"こと」を徹底していたなと。決してぶつかり合うわけではなく、ただ運命を共にする。複雑に入り組んだ関係性は、意外にもシンプルな着地を成し遂げたのだ。

 

 

レジェンズが人間を脅かす

or人間がレジェンズを脅かす

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4人のサーガとレジェンズがようやく結束を固めた頃、その裏では「ハルカ先生の闇落ち」「ハルカの父・ユルの陰謀」「シロンとランシーンの関係」「ジャバウォックの登場」など、終盤にかけて加速度的に新たな展開が繰り広げられる。中でも作中で最も脅威だったレジェンズ・ジャバウォックの存在は無視できない要素である。ジャバウォックは他のレジェンズとは全く違う性質を持っていた。人間の黒い感情を具現化した存在であり、さらにハルカの母・ラドを心臓にして動いているのだ。つまりジャバウォックという存在は、究極的には「人間そのもの」だったのではないだろうか。

 

ズオウを拒絶するメグ、ハルカ先生の闇落ち、レジェンズを滅ぼそうというユルの陰謀、これらは元を辿れば全て「レジェンズへの恐怖心」に帰結するのだ。そしてその恐怖心を最初に抱いた人間がハルカの母・ラドだったのだ。彼女がランシーンを目撃した瞬間から、全てが始まってしまったのだ。このランシーンこそが全ての元凶であり、同時に一番の被害者であると言える。レジェンズウォーで人間を滅ぼそうと考えていたが、反対に人間によってレジェンズが滅ぼされそうになるという逆転現象が起こる。

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これを踏まえて見てみると、最終回ではランシーンが自分の身を犠牲にしてジャバウォックを道連れにし、「自分が人間を恐怖に陥れた」ことに対して罪滅ぼしを行うシーンはただただ"深い"と感じるのだ。そして同時にランシーンの株が自分の中で爆上がりである。ランシーン自身もハルカ先生に利用されていた、「人間の被害者」でもあるのだ。にも関わらず、人間を守ろうとしてジャバウォック共々消え去そうとするのだ。何が言いたいかというと、つまり一番の脅威は他でもない「人間」だったなと。上で書いた通り、最強のレジェンズであるジャバウォックは最も人間に近い存在である。レジェンズが人間にとっての脅威」という話の流れは終盤で完全に「人間がレジェンズにとっての脅威」という構図にひっくり返ってしまったのだ。

 

 

あの結末はハッピーエンドだったのか

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そんなこんなで複雑に絡み合った「人間とレジェンズの対立構造」は遂にレジェンズウォーにまで発展して文字通りもうどうにもとまらなくなってきたのだが、光属性のレジェンズ「スピリチャル」の登場によって状況は一変。歴史の中で幾度もレジェンズウォーが起こり、その度にスピリチャル達は戦争を止めるように働きかけてきたことが判明する。シロンはスピリチャルの説得を受け、戦いを止める決心をする。つまり『レジェンズ』の物語は、幾度と繰り返されてきたレジェンズウォーのうち、"一番最後のもの"である。

 

スピリチャルの力で時間を巻き戻し、過去改変を行うことで世界を救う。惨劇を回避する方法として、過去改変はよく使われるものだが「過去改変して戦いを終わらせる事ができてよかったね!」では済まないのが『レジェンズ』なのだ。そもそもレジェンズは戦う為に生まれてきた存在なので、本当はレジェンズウォーを行うのがレジェンズの役目なのである。戦いが終わった今、レジェンズの存在意義は無くなってしまったのだ。戦う必要がなくなったレジェンズがサーガ達に別れを告げて自然に還る。サーガとしての役目を終えた子供たちは、レジェンズに関する記憶を失って日常に戻る、という劇的な物語の終わりは我々に大きな衝撃と、余韻を残したのだ。

 

この終わり方は一見すごく綺麗に見えて、でも「共に過ごした記憶がなくなる」のはすごくバッドエンドっぽいし、けどあれ以外に良い終わり方もないだろうし、やっぱ結果としては「良かった」のだろうか?こんな疑問が頭の中をグルグルと駆け巡る。

とは言うものの、安易なレジェンズとの共存エンドではあまりに普通すぎるし、俺たちの戦いはこれからだエンドにしなかったのは良かったなと。結局、レジェンズは最後まで「人間の憎まれ役」だったのだ。人間のエゴによって強制的に"甦らされた"レジェンズが、人間の都合で滅ぼされそうになり、最後にはひっそりと消えてゆく。あまりにもレジェンズ側が不憫な終わり方ではないだろうか。見た当初は正直、この結末には納得できなかった。

 

それでも、シロンの「子供たちを巻き込みたくない」という願いは自身が消える事で果たされたと言えるし、グリードーもディーノを死なせずに済んだ。彼らの消滅には意味があったのだ。そう考えると少しはレジェンズ側も救われたと言えるのだろうか。

と、そんな感じで色々と考えさせられる結末だった。最終回Cパートで、消滅後にねずっちょフォルムで地球に転生したシロンが、元サーガたちと再び出会う。お互いに記憶を失っているので「再会」とは言えないかもしれない。

ハッピーエンドか否かは完全に「見る者の解釈次第」である。マイナー故にあまり語られないアニメだが他の人の目にどう映るのか、とても興味深いので是非味わってもらいたい。

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