シゲの鑑賞日記(仮)

主に趣味(アニメ、仮面ライダー、ポケモンなど)を自由気ままに語りますヾ(๑╹◡╹)ノ" 特に、アニメの感想などをつらつらと書いていくつもりです^ ^

なぜ当たり前のようにSNSを使うのか。そしてその恐ろしさを自分なりにまとめてみた。

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こんにちは、シゲです!

インスタグラムのユーザーがここ最近一気に増え、「インスタ映え」なる言葉をよく耳にする。ちょっと前まではフェイスブックが主流なSNSだったが、インスタグラムも新たな勢力としてトレンドになっている。10年前にEメールで友とやりとりしていたのが嘘のようである。「いつでも、誰とも繋がれる」のはSNSの強みだなと感じる。

 

ラインの便利さはわざわざ説明しなくても身をもってわかるはずだ。また、ツイッターはどうでもいいことを垂れ流すのにとても便利である。同時に友や有名人の近況だってすぐに知ることができるのだ。

そしてツイッターの凄いところは「情報の早さ」にあると思う。ドラマの感想などはハッシュタグをつければ一瞬で見つけることができる。以前まではまとめサイトに感想スレがあがるのを待つ他はなかったが、ツイッターではものの数秒で情報を得られるのである(真偽の問題はあるが、今はそういう話をするつもりはない)

 

しかし、SNSにはある種の恐ろしさを私は感じている。既にライン・ツイッターという便利すぎるツールがあるにも関わらず、さらにフェイスブックやインスタグラムにまで手を出すのである。私はラインとツイッターは使っているものの、フェイスブック・インスタグラムは使っていない。理由は「ラインとツイッターだけで十分」だからだ。

しかしながら、多くの人はラインのタイムライン、ツイッターに加えて嬉々としてフェイスブック、インスタグラムに写真を載せて充実アピールをするのだ。正直、(あえてこう書くが)異常である。別にネットリテラシー云々とかそういう事を言いたいわけではない。SNSというのはいわば、「自分が今何をしているのかをアピールする手段」というわけである。自分を知ってほしいというある種の「自己顕示欲」というものは誰にでもあるだろう。私にだって勿論、ある。ブログやってるのも誰かに読んでもらいたいからなので、それは否定するつもりはない。私が異常だと感じるのは「複数のSNSを通して自分を"魅せる"こと」「友との繋がりを"悪い意味で"強めるということ」の2つである。

 

 

SNSは自己顕示欲の捌け口なのか

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自己顕示欲を持つこと自体は何も悪くないと思っている。誰だって「かっこよくみせたい!」「できる人だと思われたい」という欲求はあるからだ。肝心なのは「自己顕示欲の矛先をどこに向けるのか」である。かっこよく見せるために筋トレやダイエットすることは褒められるべきだし(無論、健全な方法であるという前提だが…)、服をコーディネートするのも良いだろう。できる奴だと思われたいために、テストで良い点を取る努力をするのも自己顕示欲の良いコントロールの例である。

しかし私は自己顕示欲の矛先を「充実アピール」に使うことには苦言を呈したい。これを言うと謎の勢力に「非リアの嫉妬!」と言われそうだが、自分はあまりSNSで充実アピールはしたくない人間なので(なんかみっともないし、やるにしても「どこどこ行きましたー!たのしかった!以上!w」くらい)執拗に充実アピールをする人間の深層心理を疑ってしまう。本当はうまくいってないんじゃ…とか。

 

さらに、その「充実アピール」を複数のSNSでやるということが非常に恐ろしい。ツイッターだけで満足せず、フェイスブック、インスタ、ラインのタイムラインに同じような投稿を何回もやるのって普通にしんどくね?って話である。そこまでして充実アピールをするのは、「できるだけ多くの人に知ってもらいたい!」という欲望を充足させるためだろう。ツイッターならフォロワー、ラインなら友達、フェイスブック、インスタグラムのフォロワーなど、様々なジャンルの人たちが彼らの周りには存在する。そんな「別ジャンル」の人たちを取りこぼすことなく自分のことをアピールしよう、というわけなのだろうか。「インスタ映え」するアイスクリームを写真だけ載せて、あとは食べずに捨ててしまうというモラルを欠いた行動が問題視されているが、これは彼らの中に自己顕示欲と言う名の"怪物"が息を潜めているという何よりの証拠ではなかろうか。

 

(必要だと思ったので追記:

充実アピールでも、鍵アカウントのような一部の人にしか公開しない場合は全く問題ないと思っている。個人的に自分の体の一部が、世界に開かれたSNS上に挙がるのには抵抗を感じる。どこから個人情報が漏れるか分からないからだ。そういった少しの抵抗も感じず公開アカウントのような開かれたSNS上に、自身の写真をアップする(それも複数のSNSで)心理が理解し難いな、という話)

 

 

人を繋ぎとめる鎖で自分の首を絞める人たち

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 「SNSが自己顕示欲の捌け口となっている」という話をしてきたが、もう1つの問題は「必要以上に友を繋ぎとめてしまう」という点である。いつでも友と繋がることができるSNSは確かに便利である。それは裏を返せば「どんな時でも友から離れられない」ことを意味するのだ。

ラインが来れば返事を考えなければならないし、その間ツイッターに浮上しようものならアリバイが成立せず「こいつライン返事しねーくせにツイッターやってんじゃん!」というめんどくさい事態に陥る。つまり、整合性をとる努力を強いられるわけだ。アリバイを成立させるためには「ツイッターに浮上しない」か「ラインの返事をすぐに返す」の二択しかないのである。

厄介な事にツイッターには「◯◯さんがいいねしました」という、誠にありがたくない機能が備わっている。ツイートせずともいいねから分かってしまうのである。

 

いわゆるSNS依存症である。SNSの恐ろしさを語る際「知らない人と簡単に繋がることができるから、トラブルに発展しやすい」ことが挙げられるが、私としては「リア友との繋がりが必要以上に強固になる」事の方が恐ろしいのである。SNSでは間接的とはいえ、24時間友達と共に過ごす事になるのだ。つまり実質的には1人になることができないのである。少し大袈裟かもしれないが常に誰かに監視されている状態である。フォローしてる人やフォロワーだって簡単に見ることができる。「こいつとこいつにはこんな繋がりがあるのか!」ということがバレバレである。

 

我々はSNSという名の鎖で人間関係を繋いでいる。さらにその鎖は一本だけではなく、人によれば二本、三本という者もいるだろう。自分では人と繋がっているつもりでも、実質的には色々な人によって"飼いならされている"にすぎないのではないか。そしてその鎖で自分の首を絞めているような気がしなくもない…。