シゲの鑑賞日記(仮)

主に趣味(アニメ、仮面ライダー、ポケモンなど)を自由気ままに語りますヾ(๑╹◡╹)ノ" 特に、アニメの感想などをつらつらと書いていくつもりです^ ^

圧倒的な瞬間最大風速 『リトルバスターズ!』の大どんでん返しが今でも忘れられない

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こんにちは、シゲです!

当ブログは一応、アニメの感想・考察等をまとめたブログというコンセプトだったが、最近はアニメの話題をあまり挙げてなかった気がするのでそろそろガソリンを補給しようかなと…。

 

 

 そこで今回紹介したいのはkey作品の4作目『リトルバスターズ!』である。ゲームが発売されて10周年ということで、スピンオフの『クドわふたー』アニメ化プロジェクトが動いている。私もせっかくだからこの流れに乗って『リトバス』について語りたいと思う(と言っても原作未プレイだからあんまり偉そうには語れないが…)

 

 

結論から言うと純粋に面白い青春ドラマであった。refreinからが本番で、ヒロインの個別ルートは前座とよく言われているがとんでもない。個人的には十分に各ヒロインのエピソードを楽しめた。特に小毬のエピソードは後々の展開を考えると非常に大きな役割を担っていた。(ゲーム原作アニメだから所々端折られているところはあるだろうけど、それでも良くキャラクターが掘り下げられていたと感じる)

 

 

野球要素は如何に自然なギミックとして働いていたか

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アニメ版が放送されたのは2012〜2013にかけてだった。大きく分けて各ヒロインの個別ルートドラマをメインで描いた「無印」、世界の秘密・理樹と鈴の成長を描いた第2期「refrain」に分けられる。無印ではkey作品の例に漏れず個別ルートが描かれるが、本作品で特に面白いのは「野球要素」が全面的に押し出されている所にある。あくまで野球チーム「リトルバスターズ」を結成するまでの過程の中で、ヒロインたちの掘り下げを行っている。「key作品は野球要素が恒例」とは良く言われるイメージがある。その原点とも言えるのが『リトルバスターズ』なのだろうか。

 

 

「野球」というスポーツは正直私はあまり詳しくはわからない。ルールすら理解していないレベルである。しかし部活動なら中高問わずどこの学校でも盛んに行われていて、夏には高校球児の晴れ舞台とも言える甲子園が開催される。プロ野球に至っては老若男女問わず熱狂的なファンが居る。「野球」というスポーツは日本を代表するものなのである。

 

ルールすら分からないのにホームランを打てば「うおおお!」となるし、さらに「サヨナラ」の冠を被れば何故か涙が出てくる。野球のことは何も分からないが小学生の頃は『ルーキーズ』を食い入るように見ていた記憶がある。つまり野球は「ルール」や「知識」を越えた魅力があるスポーツなのである。それ故に様々な漫画・アニメでは「野球」を題材にしたものが多いのではないだろうか。

 

 

野球といえば青春。リトルバスターズが掲げるテーマ「友情」を描くのにはピッタリすぎる材料だったのではないだろうか。また、野球用語がそのまま物語のギミックとして働いていた印象がある。恭介の「コールドゲームだ」「サヨナラホームラン」など、随所に用語が散りばめられていて非常に"上手い"やり方だった。

 

 

少年漫画のような成長ストーリー

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key作品はいわゆる「ノベルゲーム」である。「ノベルゲーム」は傾向としては恋愛ものが多いイメージがあり、keyというブランド自体も「恋愛」から発展した「泣き」をウリにしている。そんな中で「友情」というテーマを掲げたのはある意味では大きな挑戦だったのかもしれない。というのも私自身「恋愛」と「友情」は非常に両立し辛い材料だと思っている。普通に両立させようとすると「恋愛」がメインで「友情」はおまけみたいになってしまうことが多い。しかし『リトバス』は「友情」をメインに添えて、恋愛はあくまで一要素という逆転した作風になっていた。それでも決して理樹と鈴の関係性を軽視するわけではなかった。2人の出会いから始まり、refrainで描かれた逃亡劇など、理樹がひたすら鈴を守るために奔走する描写もしっかりと描かれていたと感じる。

 

 

そもそもkey作品は一要素として「恋愛」を使っているものの、それを全面的に押し出すような作風ではない事が多い。例えば『AIR』の「親子愛」、『CLANNAD』の「家族愛」、『Angel Beats!』では「人生観」というように「恋愛から発展した心の変化」に重きを置いているからだ。あくまで全体像のうち、一部分に恋愛があるに過ぎない。『リトバス』の場合"それ"が「友情」だったのだ。

 

 

また、『リトバス』は少年漫画のような色彩を帯びていたと感じている。「虚構世界」という独特な世界観は今までのkeyっぽさを残しつつも、季節感を全面的に出していた三部作からデザイン自体も一新され、ストーリーもこれまでのkey作品とは一区切りつけたような印象。

 

「野球」「友情」については上で触れたが恭介をはじめとし、真人や謙吾といった「男キャラクターの存在」が非常に強いスパイスとなっていた。それも彼らの存在なしでは『リトバス』が成り立たないくらいの大きな役割である。

理樹と鈴の成長を主軸として物語を進めて来たが、「男サイド」もリトルバスターズを通して同時に成長させられていたなと。虚構世界に浸っていたのは理樹たちだけではなく例えば謙吾だってそうだったのではないだろうか。

少年時代を剣道一本で過ごし、いい思い出を作れなかったブランクを虚構世界で埋めようとする謙吾もある意味で「現実逃避」とも言えるかもしれない。『リトバス』において虚構世界はあくまでも虚構であって、現実ではない。虚構世界はいつか出ていかなければならない場所だった。この「心地良い世界から脱却する必要性」というものは後の『Angel Beats!』における「成仏」「卒業」にも繋がってくる要素である。

 

 

直枝理樹というキャラクターもまた、この"少年漫画っぽさ"に拍車をかけていた。key作品にしては珍しく「大人しめの男の子」であった。後にも先にも、このような控えめな性格の主人公はkey作品にいない。(前3作の主役相沢祐一国崎往人岡崎朋也は割としっかり者という印象が強い。さらに後2作の音無結弦、乙坂有宇、天王寺湖太郎も決して気が弱い感じの性格ではなく、時にボケ役に徹して場を盛り上げるチャラ男っぽさのあるキャラ付けであった。(あくまでアニメを見ている限りでは)

 

言って仕舞えば理樹は色々な意味で「弱い」タイプの主人公だった。恭介をはじめとし、様々なキャラクターたちに守られながらストーリーは進んでいた。真面目で普通の男の子の"理樹"と、破茶滅茶ながらもかなり大人びているみんなのヒーロー"恭介" この2人の男は物語を絶妙なバランスで支えていたのだ。

 

また、理樹の精神的な脆さを表現する手段として「ナルコレプシー」が用いられていた。眠りについた状態は「現実から離れている」とも言えるので、現実から目を逸らしたいという理樹のストレスを表すには使いやすかったのかもしれないが…。どうしても「便利な場面転換の手段」という側面がチラついてしまった。

そもそもあまりナルコレプシーという設定自体があまり活かされていないなと…。後半になるにつれて「そういえばナルコレプシーなんてあったな〜」となってしまう。物語の都合上ナルコレプシーという設定が、死に設定とまではいかないものの「場面転換の手段」の域を出ないなぁと感じてしまった。

 

まとめると、「虚構世界」「ナルコレプシー」「主人公が"弱"のイメージ」という3要素は、全て「成長」のストーリーを描く為の土台であったと感じている。

 

総じて、『リトバス』は今までのkeyっぽさを残しながらも「豊富な男キャラクター」「友情というテーマ」「スポーツ要素」「成長」など、少年漫画に見られるメソッドを沢山盛り込んでいたのである。

 

 

リトバス』の大どんでん返しは如何に"凄かった"のか

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リトバスの最大のネタと言ってもいいものが「虚構世界の秘密」である。上で虚構世界について少し触れたが、リトバスで描かれている劇が虚構世界での出来事である」ということを視聴者が知るのは物語のかなり終盤に差し掛かってからである。表面上はいわゆる「夢オチ」にも似た仕掛けである。「今までの物語が無かったことになる」夢オチは往々にして批判されるが、リトバスの虚構世界は「現実に戻る前に理樹と鈴を成長させる」という役割があったので「今までの物語が無駄だった」とはならない。分かりやすく言えば現実に戻るまでの"予行演習"であった。

 

リトバスの比較対象として『Angel Beats!』が挙げられるだろう。あちらの世界観は「死後の世界」なので厳密に言えば臨死の世界である「虚構世界」とは少し異なるが、上で触れた通り世界からの脱却という点で共通している。また、キャラクターが消滅するカタルシス的なものも双方で見られる。両者の決定的な違いは死後の世界や虚構世界といった「物語の根幹に関わる世界観設定」を視聴者に“最初に提示”するか“最後に提示”するか、というところである。

 

Angel Beats!では最初に「死後の世界」ということを提示し、そこからキャラクターの生前の記憶と後悔・葛藤を描き、自分の人生を受け入れて成仏していくというストーリーの流れだった。リトバスではこれまでのkeyと同じく個別ルート型ドラマの中でヒロイン達の苦悩を解決していくという方法を用い、終盤で世界の秘密について迫って行くという流れである。

 

虚構世界というネタばらしは今までの「リトバスのイメージ」を白紙に戻すというある種の力技であると感じている。私自身、『リトバス』のネタバレを知る前には、所々「世界の秘密」について仄めかす描写があったものの基本は普通の青春ドラマだと思っていた。(いかんせん当時の私はおつむが弱く、世界の秘密について伏線が多かったものの「虚構世界」であることを見抜けなかった)

10〜11話でネタばらしをされた後は、「リトバスは生易しい青春ドラマでは無かった」という衝撃にノックアウトしてしまう。「ヒロインが悩んでいる」なんて優しいもんである。実際にはバスの事故で生死を彷徨っているのだから。

 

これまで理樹たちが奔走していた世界は「理樹と鈴のために作られた世界」だったのだ。麻枝准は毎回独特なファンタジー的世界観を物語の根幹としてストーリーを描いていたが、リトバスの場合"それ"についてのネタばらしは最後の最後だったから、余計に衝撃が凄かった。

 

11話の恭介との別れはリトバス屈指の名シーンだった。クールで完璧な男だった奴が大粒の涙と声にならない声で嗚咽を漏らすシーンは未だに脳みそに焼き付いている。その後の消えかかった学校にて、壁を指でなぞりながら自分たちが過ごした教室へ戻り、徐々に画面が白く消えていく演出など、余韻を大きく残すやり方が何ともkeyらしい…!「衝撃」と「感動」のダブルパンチが見る者をノックアウトさせるのだ。

 

 

リトルバスターズ!』のメッセージは何だったのか

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「いつまでも子供のままじゃいられない」

上で述べたが、これが本作品のメッセージだったと感じている。漢字二文字で表せば「成長」である。一期オープニングの「Little Busters!」では「手を繋いでみんなで仲良くしよう!」といった意味合いの歌詞であるのに対し、二期オープニングの「Boys be smile」では「手を繋いだままじゃ子供だ。」という、一期へのアンチテーゼとなっている。

 

人はいつか、1人で進んでいかなければならないという主張がリフレインではなされていたのだが、結果としては全員生存エンドだったので正直拍子抜けした感じは否めなかった。それでも「困難を乗り越えて全員を救う」という行為はそれこそ「成長した理樹と鈴」にしかできないことである。この作品が伝えたかったのは「成長のあり方に"正しい"はない」ということなのだろう。間違った方法で成長させようとして鈴は精神を病んでしまった。自分にとってベストな成長の仕方がある、私はそう解釈している。

 

ちなみに『リトルバスターズ!』のタイトルを普通に訳すと「小さき破壊者」になる。子供ながらに破天荒な遊びをする奴らだぜ!という解釈が一般的だろう。しかし私は『リトルバスターズ!』には「子供を打破する者たち」という意味が含まれていると考える。

子供のままじゃいられない。だから「子供」の状態を打破しよう。それこそが成長の一歩である。その願いが「リトルバスターズ!」というタイトルに込められているのではないだろうか。

 

ゲームが発売されて10周年となる現在、クドわふたーのアニメ化計画がなされている。無事にアニメ化されることを願っている。