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シゲの鑑賞日記(仮)

主に趣味(アニメ、仮面ライダー、ポケモンなど)を自由気ままに語りますヾ(๑╹◡╹)ノ" 特に、アニメの感想などをつらつらと書いていくつもりです^ ^

『プラスティック・メモリーズ』から感じたアンバランスさとテーマ性について

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こんにちは、シゲです(^ ^)

プラスティック・メモリーズ』(以下『プラメモ』の第1話を見た時、その素晴らしい演出で感動をしたと同時にある種の「不安」が頭によぎった事を今でも覚えている。端的に言ってしまえばその不安の正体は「無理がありすぎる設定」であった。

 

設定をザックリと整理してみると、寿命が9年しかない「ギフティア」と呼ばれるアンドロイドを製造する会社に、主人公のツカサは就職する。

ツカサが配属された部署は、もうすぐ寿命を迎えるギフティアを回収する「ターミナル課」であった。そこでギフティアである「アイラ」とパートナーを組んで回収の仕事に回るのだが、アイラ自身の寿命も近い事を知ってしまう。

なおギフティアが寿命を超過すると自我を失って暴走を始める。(この状態をワンダラー化と呼ぶ)またosを書き換える事によって、体だけそのままに"人格が変わった状態で"再度使用可能になるというもの。

 

ギフティアとの別れを描いてゆく感動的なストーリーが基本になるのだが、上記の設定に対し、私は強い違和感を覚えたのだ。暴走する危険があるギフティアをやすやすと世に出していいものなのかとか、なぜosを変えると人格が変わるのか(前の人格は保持できないのか)等、かなり奇妙な設定から物語は進んでいくことになる。

 

第1話の時点ではこの設定の「いい部分」を全面的に押し出し、ハイレベルな演出も相まってうまく完成されたストーリーとなっていた。たしかに設定の穴は大きいのだが、有り余る演出と勢いでそれを補っていたように見えたのだ。

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問題が現れはじめたのが4,5話での闇回収屋のくだりである。「ギフティアと、ギフティアに育てられた子供」の温かいドラマが展開されて良い話だなぁ…と思っていた矢先何やら怪しい男たちが家に押しかける、という物語の引きは非常にハラハラしたのだが…

ギフティアの暴走」を描きたかったのは分かるのだが、あまりにも胸糞が悪すぎたと言わざるを得ない。結局闇回収の目的もわからずじまいだった上、救いようのなさすぎるオチでめちゃくちゃ胸の奥でモヤモヤした気分になった。

 

このエピソードを受けてミチルの父の暴走やカズキさんの過去も回想として出てくるのだが、ぶっちゃけこのワンダラー化という設定は『プラメモ』において必要だったとは思えないのだ。プラメモは「限られた時間でどれだけ思い出を残せるのか」というのがメインで展開されてきたのだが、明らかに「暴走」という要素が浮いている気がしてならなかった。

確かに物語のスパイスとして多少はシリアスなエピソードはありではあるだろうが、この闇回収屋とワンダラー化はスパイスが効きすぎて「プラメモ本来の味」を殺してしまった感がどうしても拭いきれない。

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だがこの作品にも勿論良いところもある。

8話での「osを入れ替えたギフティアは前のギフティアと同一人物と言えるのだろうか」というエピソードは個人的にとても気に入っているのだ。

前の人格では「クラゲジュース」が苦手だったギフティアがosを入れ替えた途端に物怖じせず飲んで「美味しい!」と発するシーンは、もう前のギフティアとは別のギフティアであるという上手く、そして切ない演出であった。

それだけに、メンテナンスのエルが発した「思い出を作れるのは今、この瞬間しかない」というセリフがものすごく重く響き渡るのだ。と同時にこのセリフが『プラメモ』の提示するテーマであったと感じる。

アンドロイドものの作品ではよく「人格」や「精神」というテーマが扱われているが『プラメモ』も、そのアンドロイドものの王道をしっかりと描けていた作品だったのだ。

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だからこそ、ものすごく惜しい作品なのである!何度でも言うがこのアニメの演出はかなりハイレベルである。オープニングで毎回アイラの表情が変わるなど、細かな所でもしっかりと物語の儚さを表していた。そして「泣き」に特化したアニメだった!だがその土台が「あまりにも無理がある設定」だった為、どうしてもグラついてしまうのだ。要はものすごく力を入れた演出と、不自然すぎる設定が見る人には非常にアンバランスに映ったのである。

 

そしてこの作品を観て頭の中に「認知症」という言葉が頭をよぎった。寿命が近いギフティアは今まで出来ていた事が徐々にできなくなっていき、最後には我を忘れてしまう。この流れがどうしても「認知症」と重なってしまうのだ。料理の味付けがいつもと違うという小さなところから始まり、日に日にものを忘れてゆき最後には自分が誰なのかわからなくなる、というものが一般的な認知症のイメージである。

 

これはあくまで妄想の域を出ないが、『プラメモ』は認知症を扱おうとしたけどそれではあまりにもダイレクトすぎるから「ギフティア」というアンドロイドを代わりに用いたのではないか、と考えた。不自然な設定の裏側にはこういった経緯があったのだと考えられなくもない…。

 

認知症 推移」で検索してみると「2025年問題」というワードが出てきた。めちゃくちゃ掻い摘んで説明すると2025年には5人に1人が75歳以上の超高齢社会が訪れるという事である。

そうなると認知症患者も増加する一方だとか…

そんな時代がすぐそこに来るからこそ、『プラメモ』は「思い出を作れるのは今、この瞬間だけ」というテーマを掲げたのだろうか。

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少し話が脱線したので話を戻そう。

総評としては『プラメモ』はガチガチな演出に反して設定がとても不安定でうまく噛み合わず、非常に惜しい作品であると上で述べた。

実は、個人的にプラメモは二期があってもいいかなと考えている。というのもラストの"アイラらしき"ギフティアとツカサがこれからどうやって関係を築いていくのか、そしてアイラと重ねてしまって苦悩するとか、こういった話の展開は十分にできると思っているからである。(売り上げ的に厳しいかもしれないけど…)

あのラストはとても余韻が残る終わり方であり、見る人にこういった想像をさせる良いクロージングであったと感じている。

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2015年のアニメは『charlotte』『がっこうぐらし』等の変化球がとても多かったイメージであるが『プラメモ』も変化球の一つであり、痒いところに手が届かないものの非常に挑戦的なアニメだったと私は感じているのだ。